ブログ衝動

impulse

これがこのブログの802件目のエントリとなる。いつの間にか800エントリを越えていたのだが、そういえばこのブログも来月3周年を迎えることになる。「TOBYO開発ブログ」の名の通り、このブログはTOBYOプロジェクトを開発するためにアイデアやニュースを書き留めたものである。そのうち既に実現したものもあるし、まだ実現のめどが立たないものもある。

しかし、プロジェクト開発のための覚書きと思考実験のためだけにブログを書き始めたのではなかった。その事に先立って、「書く」という行為の方へ自分を衝き動かしたものがあったはずなのだ。あるいはそれを「ブログ衝動」と呼ぶことができるかもしれない。今にして考えてみると、800エントリを書かせた「ブログ衝動」とは、ある種の「違和感」であり「苛立ち」であったと思う。そしてその違和感や苛立ちは、医療界およびその周辺で語られる言説に対するものである。

「医療関連の新しいサービスを起動する」ことをめざした頃、医療関連NPOに参加したり各種シンポジウムに出席したりして医療にかかわる情報収集につとめた。だが、それらの場で語られる言説には、何か本質的になじめないものがあると感じていた。なじめないどころか、医療とその周辺における言説空間と言うものが、社会と大きくずれて歪んでいるような感を次第に強く持ったのである。

たとえば「消費者の立場に立つ」ということを、なぜか素直に言いにくい雰囲気が確かにあるのだ。「消費者の立場に立って・・・」などと口を開くと、相手や周囲から冷笑的な視線が返されるのを何度も経験したのである。この現代社会で「消費者の立場に立つ」という言葉を冷笑的に見るような業界は、おそらく医療界だけだろう。そしてその一方では、「患者様中心医療」などという空疎な言葉が跋扈している。これら無意味なスローガン群は、言葉として死んでいる。

紆余曲折を経て私たちがたどり着いたTOBYOプロジェクトは、「闘病体験の共有」をめざしているのだが、それはまず「闘病者の言葉」から医療を捉えかえす試みであると言える。医療界やその周辺の言説空間で語られる言葉ではなく、医療消費者=闘病者の言葉から私たちは出発したのだ。

Health2.0をはじめ世界の新しい医療の流れを見ていると、CDHC(Consumer Driven Health Care)や消費者参加型医療などの考え方が当たり前に共有されている。なぜ、日本医療だけが妙なシニシズムの中にあるのか。

今必要なことは、シニシズムから「生きた言葉」を取り戻すことだ。

三宅 啓  INITIATIVE INC.


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