EMRの考古学: Circa 1964


1961年、医療分野におけるコンピュータ利用に関する共同研究がIBMなどを中心に開始された。今で言うEMRのプロトタイプである。この初期EMRは「Circa」と名付けられ、1964年、オハイオ州アクロンの子供病院に試験的に導入されたのである。その当時の映像が、ジョンズホプキンズ大学医学部から公開されたのだが、それを見るとこのCircaは当時、その情報システムとしての役割を次のように説明されていたのである。

  • 医師、看護師のペーパーワークを減らす
  • 医療過誤を減らす

だが当時から40数年を経た今なお、これらはいまだに「今日的課題」として堂々通用する。これは何を意味するだろうか?。米国の医療ブロゴスフィアでは、「ではこの40数年間、アメリカの医療界は、一体何をしてきたのか?」という詰問にも似た問いかけがされている。

1960年代から今日までの40数年間。この間、ずっと継続してワークしてきた一つの法則がある。それは「ムーアの法則」である。これに従えば、半導体価格はこの40数年間に「1億分の1」になったのである。つまり1960年代に100億円であったメインフレーム・マシンは、今日では100円程度の価値しかないのである。このように情報革命が連続的・継続的に爆発展開した結果、この40数年の間にすべての産業構造は一変してしまったのである。(「過剰と破壊の経済学 –「ムーアの法則」で何が変わるのか?–」, 池田信夫著, アスキー新書)

だが、たとえばEMRはどうか?。この40数年間におよぶ情報革命を経てもなお、EMRの米国での導入率は低い。米国政府は導入インセンティブまで用意して、やっきになって医療機関のEMR・EHR導入を鼓舞しているが、それでも大半の医療機関は「導入予算がない」との理由で渋っているのである。

1964年のCircaで目指された医療効率化と医療過誤の低減化はいまだ実現されず、極論すれば40年前と何も変わっていないのである。それはまるで、他のすべての産業セクターでは享受されたムーアの法則によるコストダウン効果が、どういうわけか、あたかも医療界だけを避けて通り過ぎたかのごとくである。

1964年のCircaから40数年。情報技術で「40数年前」と言うと、それは歴史というよりはむしろ「考古学」の対象と考えた方がよいくらいだ。そして「化石」として出土したCircaが、現在のEMRと基本的にさほど変わりばえしないという事実の持つ意味を、この際じっくりと考えるべきだろう。そのことは、医療だけが、すべての産業セクターから切断された特異な時空間になっていることの是非を論じることになるのではないか。

三宅 啓  INITIATIVE INC.


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