ネットスーパーと闘病情報

昨日の朝、朝食を食べながら時計代わりのテレビをぼんやりと見ていたら、ニュース番組でネットスーパーの活況ぶりを報じていた。そういえば10年程前、ドットコムバブル崩壊前夜の米国でネット食品スーパーが多数登場していたことを思い出したが、その後どうなっただろうか。今日の日本で、大手量販店各社が一斉にネットスーパー事業に乗り出しているのは、年々リアル店舗の売り上げが減少しており、新しい顧客とそこへリーチするチャネル開発が必要になっているからだ。その際、ショッピング等であまり外出しないような高齢者が重要なターゲットとして浮上してきているのは想像に難くない。彼らにネットで在宅ショッピングサービスを提供すれば、低コストで地域高齢者の利便性に寄与することにもなる。

だが、ここでいつも決まっておなじみの「問題」が指摘されることになる。「ではネットにアクセスできない高齢者をどうするのか?」という問題である。二ー三年前に国立がんセンターがん対策情報センターを設置する際にも、主として患者団体などからこの「問題」が指摘され、ウェブサイトを開設するだけでなく、あわせて同等の内容をもったパンフレットを数百万部印刷配布することになったと記憶する。

ネットスーパーの場合はどうか。ネットにアクセスできない高齢者向けに、電話ショッピングを開発したのだが当然コスト高となり、在宅ショッピングサービスを維持できなくなった。そこである量販店が考え出したのが、地域商圏内の高齢者のネットリテラシーを上げるための「出前講習会」の実施である。希望する高齢者宅まで出向き、手取り足取り、懇切丁寧に自店サイトの使い方を教えたのである。これは当初は派遣人員や説明時間などでコスト高になるが、反面自店ショッピングサイトのプロモーションにもなり、また長い目で見ると自店ネット顧客の育成につながるために、量販店から見て悪い話ではない。

テレビを見ながら思ったのは、従来のデジタルデバイド論議も、このネットスーパーのような方向で対処すべきだということである。「ネットにアクセスできない人がいるから、印刷物を刷って配布する」という「考え方」は一応分かるのだが、これではいつまでたっても状況は変わらない。また印刷物を刷って配布するコストと、ネットで情報配信するコストのどちらが安いかは議論するまでもない。

そういえばこの前「コトの顛末」で触れた闘病記研究会だが、当方に寄こしてきたメールには「私たちは闘病記を印刷物で提供することをめざしている」とあったのを思い出した。また「デジタルデバイドという問題もある」とも言っていた。だが、こんなふうにデジタル格差論を持ち出して「印刷と配布」を推進するような意識が、そもそもアナクロニズムでしかない。ネットスーパー事業立ち上げのために量販店が考えたように、ネットにアクセスできずリテラシーもない人たちに、ネットの使い方をていねいに指導することの方が、安直に紙に刷るよりもよっぽど良いに決まっている。デジタル格差があるからと言って、紙に刷って配れば問題が解決するというような考え方は、「当面の情報配信」には役立っても、デジタル格差の解消という根本問題を解決せず、逆に固定化するような役目さえ果たしていると言わなければならない。

TOBYOは闘病ネットワーク圏に共有された闘病ドキュメントを、一応「闘病記」というメタファーで表現している。そのほうがわかりやすく、イメージしやすいからだ。だが、本当は「出版物としての闘病記の仮の姿」みたいなものとしてではなく、それ自体が自立した新しい表現形式であると考えている。それを「紙に刷る」などということは、まず思いもつかないし、また意味のないことだと考える。

三宅 啓  INITIATIVE INC.


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