選択の自由

先週は雑事であわただしく過ごし、ブログの方もおろそかになってしまった。なんだかんだと言っているうちに6月に入り、しかも今日は梅雨入りの可能性まで天気予報で言われている。夏はもうすぐだ。

夏へ向けてわれわれが取り組まなければならないのは、まず、TOBYOの全文検索を全病名へ拡大することである。これができた段階で、名実ともにTOBYOはベータ版となる。春先、アルファ版の段階では、会う人から異口同音に「TOBYOは、結局、闘病記のリンク集なのか?」と言われていた。あの段階では、たとえ闘病記の収録数は大きいとしても、たしかに「リンク集」と言われてもしかたない状態であった。それに闘病記のリンク集なら従来からいくつか存在したし、今後も出てくるだろうが、結局、ある地点まで行ってしまえば「リンク集のジレンマ」とでも言うべき問題に直面するとも思っていた。

TOBYOは闘病ネットワーク圏を可視化するために、できる限り多くの闘病記の所在地を収録しようとした。その結果、たとえば「乳がん」など、すでに400近い闘病記のリンクを集めている。だが、これは多くなれば多くなるほど、皮肉にも、かえってユーザーの選択を困難にするかも知れない。たしかに量的拡大はユーザーの「選択の幅」を拡大し、広いニーズに対応できるだろうが、一方では「選択の容易性、利便性」を阻害し、「選択のコスト」を増大させる面も持ち合わせている。

自分に必要な情報を選び出すために、ユーザーに多大な時間的コストを強いることさえ予想されるが、これは「闘病者のベネフィット」という観点と矛盾するだろう。そこで、あるレベルまで行ってしまえば、量的拡大と選択の利便性を両立させるような機能が必要となる。これにはレコメンデーションをはじめいろいろな解決方法があるだろうが、TOBYOの場合、それはバーティカル検索エンジンであった。

バーティカル検索エンジンTOBYO事典は、闘病者が、知りたい闘病体験情報へ最短で到達するためのツールをめざしている。これはきっと、闘病者のデータ探索コストを極小化するためにお役立ちできるだろう。たとえば乳がん闘病者が、400サイトもの乳がん闘病記を全部読むわけにはいかないのだ。また、どの闘病記にどんな情報があるか、リンク集からはおおざっぱにしか見えないのだが、全文検索のバーティカル検索エンジンだと隅々まで知りたい情報を可視化できる。

と、以上のような理屈になるが、まだまだこれからである。検索エンジンのチューニングなど、改良すべき点は山積している。また、ユーザーが常に「経済的かつ合理的」な情報探索行動をしてくれるなら、以上のような「理屈」も生きてくるのだが、必ずしもそうではない。これは「患者が選択する医療」などといっても、まだ「医師にお任せ医療」が多いことを見てもわかる。情報にせよ医療にせよ「選択の自由」から、時として人は逃亡してしまうからだ。結局、手探りの試行が続くものと覚悟している。

三宅 啓  INITIATIVE INC.


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