Health2.0的思考(2)

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以前のエントリー「敬遠されるエスタブリッシュメント系医療情報サイト」で、患者・生活者は政府や製薬メーカーが主催する医療情報サイトよりも、むしろ個人体験が記された個人サイトのほうを好むという英国の調査結果を紹介した。

今日、米国の医療ブログ”HealthcareVox”でこの話題が再び取り上げられていた。「われわれは、本当に患者が求める情報を提供する用意ができているだろうか?」と題されたこのエントリーには、この春、英国BBCで報道された上記の患者選好調査結果に触れながら、七月号の米国「Marie Claire」誌に掲載された記事の紹介がある。

この記事では、経口妊娠中絶剤による中絶を選択した患者体験が取り上げられている。この患者の場合、薬剤中絶は手術より非常に楽に済ますことが出来る、との事前説明にもかかわらず、実際には予想を超えた深刻な体験を強いられたことが記されている。

「だが、経口妊娠中絶剤の製造者は、Webサイトでその製品について非常に読みやすい薬剤ガイドを掲出している。しかし、多数の女性は、より詳しい情報を必死で探しており、つまりそれは彼女達の仲間からの助けを求めているのだ。」

「ある患者はその薬剤に関し、『世の中に、いかにほとんど明確な情報がないか』を知って驚いたという。この例を考えて見ると、人々が医療情報のオフィシャル・ソースを信頼していないということにほとんど疑いの余地はない。」

このブログの筆者はこのように述べている。ここには「一般的な医療情報」と「個々の患者によって生きられた具体的体験としての医療情報」という二つの医療情報が語られている。たしかに従来、医療情報の性質を患者ニーズとの関連で分類し考察することは稀であり、「医療情報一般の信頼性や正しさ」などをめぐる問題ばかりが言われてきたのである。だから、改めて「本当に患者が求める情報とは何か?」を問う必要があるのだ。

そして言うまでもなく「一般的な医療情報」は既にWeb上にあふれかえっている。対して「具体的体験としての医療情報」は、それも千差万別な患者自身の症状に対応する情報は、見つけにくく、また少ないのである。それでは、それを見つけやすくし、情報量を拡大するためには一体どうすればよいのか?

まず情報量を拡大するには、みんなが協力して手分けして、一人ひとりが各人の体験をWebに記録し公開することが必要である。それは、当面どのような形式でも、どこのサイトにおいてもかまわない。これら個人体験記録の膨大な情報集積がWeb上に出来上がれば、あとはそれを便利に利用する方法を考える。われわれは、それをT「OBYO」という患者体験特化型のソーシャルメディアとして提供したいと考えている。

もちろん「一般的な医療情報」だって必要だ。そこに「具体的体験としての医療情報」が加わり補うことの必要性が、これまであまり考えられてこなかったのだ。そしてこれら二つの医療情報による学習、そしてかかりつけ医との協同関係が揃えば、これから将来の医療というものを、患者側からイメージしていくことが出来るのではないだろうか。

もちろん、これらの中で「患者-医師」関係も従来のままではありえない。どんどんこの両者の関係は変わっていくだろうし、その変化の過程で衝突や混乱も当然ありうるだろう。今日、医療者側から語られている「医療崩壊」、そしてもう一方で患者側から語られている「医療不信」は、この変化に伴う衝突混乱への同種の予感を、それぞれの立場から表明したもののように見える。

そして、Webはこれらの変化を加速する最大の要因ではないかと私は考えている。この医療における変化が、どのような最終的な秩序に帰着するかは予見できない。だが、この変化は各国の制度的な差違を超え、ほとんど国際的にシンクロして進んでいるように思える。だから、一国的な、あるいは地政学的な特殊性でもって、今後の医療を語ることはほとんど場違いだと思える。やれ「日本人の死生観が変わった」だの、「武士道」だの、尚古主義からお説教を垂れるのは自由だが、何か時代の方向を見失ってはいまいか?。

< 関連情報>

Health2.0的思考(1)

三宅 啓  INITIATIVE INC.


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