「ネットと文明」というアンチネットの怨嗟

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先週から日経新聞朝刊一面に「ネットと文明」というシリーズが、また始まりました。「また始まった」というのは、このシリーズが既に「第九部」を数え、断続的に連載されてきたからです。大仰なタイトルの割には、参考になる知見も卓見も少ないこのシリーズを、一体、日経という新聞社はどう位置づけているのかと、このシリーズが再開されるたびに実は首をひねって見ていました。

昨年の夏ごろ、何回目かに再開されたこのシリーズの冒頭では、「知っているつもり」という見出しで、「20世紀前半の哲学者ヴァルター・ベンヤミンは登場した映画を見て『芸術作品のアウラ(崇高さ)が失われる』と嘆いた」などと書かれていました。これは見当違いも甚だしく、悪い冗談かと思いました。この筆者は、ベンヤミンの「複製技術時代の芸術」あたりを引用したつもりでしょうが、読解がでたらめでお話になりません。この「知ってるつもり」とは筆者自身のことを指していたのでしょうか。

まあそんなことより、このシリーズが絵に描いたようなマスコミサイドの「アンチ・ネット」的言説を代表しようとしており、その野心的かつドンキホーテ的気概には、まさに脱帽いたします。たしかにソーシャルメディアは既得権益ホルダーのマスメディアにとってDisruptiveであることを、本能的に察知されてのことであるのでしょう。「ネットの暗部に巣くうテロリストや犯罪者」の存在を、かくも執拗に取り上げ、かくまで社会に警鐘鳴らすとは・・・・・・・恐れ入りました。しかし、そこにはしたたかなマーケティング戦略があって、このシリーズを読んで「世の末」を慨嘆し、悲憤慷慨するエスタブリッシュメントのシニアな読者お歴々にはさぞや好評を博すること必定でありましょう。

先週末、「地上波デジタルTV放送のチューナーを低所得層に配布」という驚くべきニュースが伝わりましたが、この日経のシリーズを見ながら、日本のマスメディアとそれを取り巻く状況にはもう救いがないと思いました。「マスメディアで社会を動かす。社会的コモンセンスを作る。」という発想自体が、今や絶望的にみっともないほどに古色蒼然としているのです。

日本の医療を取り巻く状況も、同じく閉塞感は強いです。「医療崩壊」という言説も医療界から聞こえてきますが、逆に私達が見た膨大な量のWeb闘病記に表白されてあるのは、闘病者のおびただしい「医療不信」です。「崩壊」を語る医師と、「不信」を語る闘病者。その間に広がる断層。お互いが不幸であることだけは間違いありません。

これらの社会的相互不信に、本来、相互理解を架橋すべきはずのマスメディアは、火に油の煽情報道以上の働きができない始末です。「ネットと文明」などに紙面と人とコストを費消するくらいなら、 ネットを使った新しい医療報道の試みくらいやってはいかがか。しかし、こんなことを期待するほうが最早むなしいか。

三宅 啓  INITIATIVE INC.


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