画一性の番人

昨夜、たまたまNHK「医療再建」を見た。医師不足、研修医制度、診療科目の自由標榜など、「医療崩壊」と総称されているさまざまな問題を取り上げていた。だが番組が進むにつれ、当方の番組への興味関心は薄れる一方で、むなしく隙間風がスタジオに吹く音さえ聞こえるようであった。役人、医師会、医療者、研修医、患者など、関係者が一堂に会して口々に意見を表明しているのだが、それらは焦点を欠き、まるで自分たちの立場を一方的に言いつのるだけで満足しているかに見えた。

短く言ってしまえば、医療の需要に対し供給が十分に対応出来ていないのが日本医療の現状なのだが、これを「医療崩壊」などと言ってしまうとかえって問題は見えなくなる。そんなふうに過度にセンセーショナルな言い方をする必要はなく、単に有限の医療資源をどのように効率的に社会に配分するかという問題である。そして、厚労省の資源配分に関わる需給予測と計画がこれまで一貫して失敗してきたから、現下の困難があるのだということが、すべての議論の出発点になるはずだ。日本医療は計画経済で完全にコントロールされているのであり、その責任は計画の立案と実行に携わる者がすべて負うべきである。まず、そこをはっきりさせなければならない。

ところが番組を見ていると、医師不足や偏在化あるいは研修医制度などについて、たとえば「地域格差」などを持ち出して、より平等性の高い制度設計を厚労省に「お願いする」みたいな「陳情」シーンが何回か露見したのである。これまで需給調整に失敗してきた厚労省に、今さら何を期待するというのか。それはつまり、より合理的な医療計画経済なるものがどこかにあって、それを早く見つけ出すように、各界が国に対し自分たちの立場から「請願する」みたいな図式でありシナリオであり、このことがこの番組の空しさの総量を倍加させていたのだ。

番組では、主要病院の垣根を越えて医師を地域医療センターに集約配置する奈良県の取り組みを紹介していたが、このような試みこそが医療資源の効率的配分へ向けた実践的なアクションであると思う。つまり国の中央集権的な施策に期待してはならず、それぞれの地域の医療需要の量と質に応じた医療供給を、それぞれの地域の医療資源を工面して実現するという「地域医療経営」の発想が最も有効であるはずだ。

消費者の医療に対する需要はますます多様化しているのに、供給側が画一的であるために、医療の効率的な資源配分を妨げているのでないか。多様化した医療ニーズに対応する、多様な選択肢を供給側は提示できなければならないのに、まったくできていない。このブログで何回も取り上げてきたが、たとえば米国のリテールクリニックのような、地域医療の底辺の拡大も必要なのだ。一方でリテールクリニックのような24時間365日対応で看護師主体の地域簡易医療施設が配置され、他方では高度先端医療を担う医療施設が広域圏ごとに配置され、その両者の間にさまざまな業態の医療機関が存在するというような、そのような多様性を生み出す努力が医療界には必要なのではないだろうか。そのような多様性は、たとえば研修医の職業の選択肢をも拡大するはずだ。

病院から開業医へ、地方から都市部へと、逃亡する医師の流れは跡を絶たないが、これら二極のいずれかしか選択の余地がないことがむしろ問題なのだろう。いずれにせよこんな硬直した画一性こそが、日本の医療を閉塞感の中へ追い込んでいるのだ。

「画一性の番人」に、今さら何を期待できようか。

三宅 啓  INITIATIVE INC.


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