診療報酬の匙加減という弥縫策

sajikagen
今朝の日経一面トップには「開業医の初診・再診料下げ」という見出しが躍っていた。来年度から開業医の診療報酬を下げ、医師の開業医シフトを抑制することをはじめ、厚労省は診療報酬を上げ下げして医療現場の諸問題を解決しようとしているようだ。

診療報酬や薬価は「公定価格」であり、官僚が細かい匙加減で操作することによって、医療供給をコントロールしてきた。つまり「公定価格」を官僚が操作することによって統制経済が運用されてきたわけである。まさに日本医療は社会主義制度である。

医療という希少資源の配分を考えると、これをいかに効率的におこなうかが問題となるが、はたしてこのような統制経済による社会主義的資源配分が効率的といえるのだろうか。今回の開業医診療報酬改定にしても、その金額や適用範囲などが設定目標に対し実効的であるかどうかは、記事を見る限り説明されていないのである。また、過去に何度も実施された価格調整施策の有効性も検証されていないのである。

はっきり言って、ますます複雑になっていく医療資源配分を、少数の官僚が価格統制の匙加減で人為的にコントロールするようなことは、実質的にもう不可能になっているのではないだろうか。さらに、この統制計画の上に「政治決着」のような政治ファクターが介在すると、ますます実際の需要と供給から解離した「計画」が一人歩きすることになる。

こうなると一定の自由価格設定などを認め、実際の需給構造にまかせるようなことを、どこかの時点で決断していく必要があるのではないか。全面的な市場移行は必要ないが、しかし一定の部分を市場に任せなければ、第一、ブレークスルーが起きない。新しい仕組みや工夫のアイデアの自由度が許容されていなければ、資源の効率配分は不可能である。

医療はパブリック領域に位置づけられるものだと思う。だが、パブリックとは「公共事業」のような「官」の専管領域ではない。むしろ「官」にまかしてはならない領域である。医療は土建屋の「公共事業」とはまったく違う。違わなければならない。この国でパブリックということを発言するのは実は難しい。正確な翻訳語がないからだ。だが宇沢弘文氏が唱えるような「社会的共通資本」でもないような気もする。違和感がだんだん強くなってきた。

「医療を経済にあわせるのではなく、経済を医療にあわせる」(「社会的共通資本論」宇沢弘文、岩波新書)という宇沢氏の発言には、正直、首をかしげざるをえない。

photo:”There is a spoon” by randomidea

三宅 啓  INITIATIVE INC.


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