TOBYOプロジェクトと「物語」

「物語というのは、その書き手が何かを語ろうとして、自分宛に書く手紙のようなものだ。書く以外の方法では、それが発見出来ないのだ。」 (「風の影」 カルロス・ルイス・サフォン, 集英社文庫)

私たちがTOBYOプロジェクトを始めた当初、どうしても避けて通れなかったのはウェブ上に公開された「闘病記」というものをどう見るべきかを徹底的に考え抜くことであった。その際、私たちが選んだのは、いわゆる「物語」や「作品」という視点からではなく、あくまでも「事実」や「データ」という視点からネット上に大量に公開された患者ドキュメントを見ることであった。

「物語」や「作品」という視点からあえて離れることによって、固有名詞で特定される具体的事実と数量化が可能なデータを可視化するというアイデアが生まれた。そのアイデアから、まず最初に「TOBYO事典」という自前のバーティカル検索エンジンが開発され、次に固有名詞をジャンル別に時系列で抽出・集計する「dimensions」が開発された。そしてその延長上に「がん闘病CHART」「V-search」とそれらの「TOBYO_API」が作られていった。

こう見てくると、やはり最初の方向付けというものが決定的に重要であったと言わなければならないし、今後もその方向付けを繰り返し確認し、さらに一層豊富化し精緻化していくことが必要だと思える。もしも、私たちがウェブ上の患者ドキュメント群を「物語」や「作品」という視点でだけ見ていたとしたら、その後、私たちのプロジェクトはどこへも行きようがなかったに違いない。

その後「ビッグデータ」が医療においても重要なテーマだと言われるようになってきたが、これらの流れとTOBYOプロジェクトは同じ方向を向いていると考えている。TOBYOがメタデータを付してDBに整理分類した闘病サイトは現在3万8千件であり、そのドキュメントは500万ページに達している。患者が自発的に公開した500万ページのドキュメントをさまざまな観点から集計分析し、日本の医療の現場をまさに患者視点から照らし出すことが実現可能になってきている。

今後、TOBYOプロジェクトはビッグデータ・プロジェクトの道を突き進んでいくだろうが、ここへ来て意外にも「物語」ということをあらためて考えなおす機会が多い。そのきっかけは、他のたとえばtreatoなどのプロジェクトが扱う掲示板やSNSのデータと、TOBYOプロジェクトが主として扱うブログデータがかなり異質なものであり、その集計・分析・出力方法も同じではないことがはっきりしてきたからだ。

闘病ブログにおいて患者が体験した事実は、とりあえず「物語」という形式を持って表現されざるをえないのであり、それより他の方法はない。医療者であれば専門用語や数値やグラフでもって事実を記録することができる。だが、患者は自分が体験した事実を物語という形式で書き、あるいは語るほかない。誤解のないように言っておくが、これは「物語」や「ナラティブ」ということを過剰に言い立て、そこに特別な思惑を入れ込むこととはまったく別のことだ。「ナラティブなんたら」などと騒ぐのは無用で、患者にとって単に他に表現方法の選択肢がないだけのことなのだ。

では、物語の形式あるいは構造とはなにかといえば、手っ取り早く言えばそれは事物が因果関係を持って配列されているということになる。出現する固有名詞はあるコンテクストの中に存在し、なおかつ他の固有名詞とネットワークを結び、決して独立して単独で存在しているわけではない。だから、そのコンテクストや複雑に編みこまれた語と語のネットワークの態様を理解しなければ、そこに出現した固有名詞の意味はわからないことになる。

普段、私たちはテクストを順次的に「読む」ことによって、自然に無意識のうちにドキュメントのコンテクストや語間ネットワークを解釈し、出現する固有名詞の意味や振る舞いを理解している。だがマシンでデータ処理する場合、はなしは変わってくるだろう。人間のようにテキストを「読む」ことはできないからだ。

TwitterのツイートやFacebookのTLのポストや掲示板のコメントなどと違い、ブログのようにコンテクストを持ったデータをどう処理するのがよいのか。これが次に私たちが直面する課題だと考えている。そしてこれは、おそらく私たちだけで解決できるものではないとも考えている。他の領域のプロフェッショナルとのコラボレーションが必要となるだろう。いずれにせよTOBYOプロジェクトは、当初私たちが考えた規模や射程を越えつつあることは間違いない。

三宅 啓  INITIATIVE INC.


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