今日は正岡子規の「糸瓜忌」である。1902年(明治35年)9月19日、享年34で子規は死去した。辞世の句とされるのは以下の句である。
糸瓜咲て痰のつまりし仏かな
痰一斗糸瓜の水も間にあはず
をとゝひのへちまの水も取らざりき
たまたま昨日、妻と墓参のついでに根岸の子規庵へ寄ってみた。座敷と続き間の書斎からのぞむささやかな庭には、糸瓜、鶏頭、芙蓉をはじめ多数の草花が植えられ、四季を通じ見飽きることはないと思われた。そして子規はこの庵で結核療養の日々を過ごし、闘病記「病牀六尺」、「仰臥漫録」を書いた。日本近代文学に闘病記という新しいジャンルを切り拓いた作品と言われている。
子規没後110年経って、多くの闘病ドキュメントがウェブ上に公開され、闘病ユニバースという膨大なデータ空間を形成するに至っている。これはおそらく日本だけの現象だと思われるが、その原点に子規の優れた闘病記録があったことが大きかったのではないかと、ひそかに考えることがある。
TOBYOもdimensionsも、正岡子規の闘病生活の端正なセンチメント抜きの写生がなかったら存在しなかっただろう。偉大な才能に感謝。
三宅 啓 INITIATIVE INC.