闘病サイトとライフログ

Shinjukuk_West

先週の続きになるが、「闘病記」という括りから、闘病サイトで展開されている闘病者の一連の活動を分けて考える必要がある。従来そこがどうも一緒くたにされてしまい、「闘病記の亜流」みたいな形で闘病サイト上のコンテンツが扱われてきたことが、結局、今ネット上で起きている闘病者の新しい情報活動を見えにくくしているのだ。リアル闘病本の延長線上で闘病サイトを見てしまうから、医療に対するインターネットの可能性と闘病者の活動を過小評価してしまうのだ。

インターネット黎明期から出現しはじめた闘病サイトは、同時に誕生した病院など医療機関サイトや製薬企業サイトよりも、いわゆる「ネット的な性格」を強く持っていた。病院サイトなどがトラディショナル・メディアの発想つまりワンウェイ思考で作られていたのに対し、闘病サイトは自分の医療体験をライフログとして記録し、不特定の「誰か」との共有を想定して公開されたのである。そこには、最初からインタラクティブなコミュニケーションが前提されていたのである。

そして、これら闘病サイト間に自然発生的なルースなネットワークが結ばれて行き、それらは2005年頃から爆発的に拡大し始める。このように独自に進化してきた闘病ユニバースは、単なる闘病記の集積ではなく、「患者参加型医療」という次世代医療のあり方を指し示しているし、それ自体が「医療情報交換バザール」であると言えるだろう。

では闘病者達は、なぜウェブ上で自己のプライバシーである個人医療情報を続々と公開しているのか。それは従来のプライバシー観からはとうてい理解し難い事態だが、社会的に共有した方が医療情報の価値が高まるということを、無意識のうちにネット闘病者たちが理解していたからにちがいない。あるいはインターネットという存在が具体的にあって、そのことを本能的に察知したというべきか。このような暗黙の思考様式は、後にPatientsLikeMeや23andMeなどの新しい医療サービスにおいて顕在化させられたのである。つまり闘病サイトが当初から持っていた先進的なベクトルは、「闘病記」などと言う狭い理解範囲をはるかに超えて、次世代医療と次世代サービスを見通すものであった。

以上のことを、まず正当に評価しなければならないと思う。そしてさらに、闘病サイトが一般のブログサイトとも違うことに留意する必要がある。闘病サイトはライフログ的な性格を強く持っている。そこに注目することで、新しい情報サービスが生まれてくるはずだ。たとえばPHRなども、ライフログのアグリゲーション・サービスの一つと見ることもできよう。これまで私たちが「コアデータ」と呼んできたものも、実はライフログのことなのである。

三宅 啓  INITIATIVE INC.


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