シェアする権利

昨日に続いてPatientsLikeMe関係の話題になるが、同社経営メンバーであるヘイウッド兄弟の一人ジェームズ・ヘイウッド氏が、最近、同社公式ブログに発表したエントリ「Sharing Is A Right As Well」が話題になっている。

先月、PatientsLikeMeは保健社会福祉省(HHS)人口保健統計委員会(NCVHS)の「プライバシー、守秘義務、セキュリティ小委員会」に召喚され、医療ITとプライバシー問題について証言を求められた。ジェームズ・ヘイウッド氏はこの小委員会に出席し、PatientsLikeMeを代表して同社が考えるプライバシー論を展開したのである。結論から言ってしまえば、従来のプライバシー観に対し、ジェームズ・ヘイウッド氏は人々が互いに「情報をシェアする権利」を対置し、プライバシー至上主義を批判して見せたのである。見事である。

PatientsLikeMeにおける私たちの体験から、私たちは患者たちが問題のありかをよく知っていることがわかる。彼らはリスクと利益を理解し評価しているし、情報を快適にシェアする場所と、彼らの情報を誰かに役立てる方法について、理にかなった合理的な選択をしている。もしも、シェアする権利や発言する権利を侵すようなことがあれば、情報のフローを妨げることになり、私たちの解釈では、そのことは私たちの国の基礎を築いてきた価値観に反する行為になる。

プライバシーは法的概念でもあり、また哲学の概念でもある。プライバシーを権利としてではなく目的とみなすような近代における焦点化は、医療を減速させ、治療を遅滞させ、そして患者は必要なものを必要な時に得られることなく死ぬのである。私たちはおよそ架空の被害の代わりに、現実の被害をもたらしてしまったのだ。私たちは、プライバシーの哲学的焦点化は有害であるとさえ論じなければならないだろう。私たちは、医療においては、開放性のほうがプライバシーよりもより一層パワフルな概念であり、患者に自分の健康をコントロールする力を与えるものであると信じている。

以上は証言の抜粋であるが、ジェームズ・ヘイウッド氏の小委員会でのすべての証言は、同小委員会サイトにドキュメントとオーディオファイルがアーカイブされている。

いうまでもなくプライバシーも歴史的概念であり、時代の要請に合わせてどんどん変わっていくものであり、変えていくべきものだ。ところが、一部にはプライバシーを何か「神聖かつ不可侵なるもの」であるかのように錯覚してしまう向きも多い。そのことは、たとえば日本の「個人情報保護法」とそれによる過剰反応などに表れている。だがこの行き過ぎた「プライバシー信仰」に、真っ向から批判を加える者は多くない。アメリカでも「プライバシー保護団体」の強力なロビイイングやメディアコントロールはすさまじいようで、医療ITの分野では、一昨年から登場したGoogleやMSのPHRがまず槍玉に挙げられている。だからこのジェームズ・ヘイウッド氏のように、真正面からプライバシーを「有害」とまで断罪するには、もちろん「医療における」という但し書きを付しているとはいえ、それなりの勇気が必要だろう。

ヘイウッド氏は「シェアする権利」の優位性を主張することによって、プライバシーの絶対的なプライオリティを下げにかかっているのだが、非常に説得力のある有効な戦略だと思う。もちろん「シェアする権利」と「開放性」こそは、PatientsLikeMeの土台となるプリンシプルである。彼らは以前からこのプリンシプルに基づいて事業を進めてきたのだが、今回の「小委員会証言」という試練を契機として、一層、自分たちのプリンシプルを深化させ強化しえたのではないかと思う。

だがこの「シェアする権利」は、個別PatientsLikeMeの主張であるないにかかわらず、Health2.0をめざすすべての人たちの財産だと思う。「シェアする権利」という考え方をシェアしよう。

三宅 啓  INITIATIVE INC.


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