医療の「不足と過剰」についての考察

binbou

「医療崩壊」という言葉がブーム的な様相を呈し始めたのは、たしか一昨年あたりからだろうか。以後、医師ブログなどを中心として様々に論じられてきたのであるが、最近は「医師不足」をこの「崩壊」の直接的原因として取り上げる論調が多いように感じる。たとえば「貧乏人は医者にかかるな!–医師不足が招く医療崩壊–」(永田宏著、集英社新書)も、その過度に扇情的な書名は別として、それらに連なる一冊と言えるだろう。

「しかし、あと数年もしないうちに、われわれは厳しい現実に直面しなければならなくなる。医師不足は産科と小児科に限った話ではない。地方の病院に限った話でもない。ほとんどあらゆる科目において、すでに医師不足が限界にまで達しつつある。団塊の世代が後期高齢期(75歳以上)を迎える2025年までには、外科をはじめとする主要な科目のほとんどが、医師不足に見舞われる。患者当たりの医師数が今の半分以下になる科目がいくつも出てくる。いつでもどこでも誰でも、という神話は、その時までには完全に崩壊していることだろう。」(同書、P9)

この本の冒頭には、以上のように深刻な日本医療における医師不足が指摘されている。まず読後感として、「医師不足」の一点に視点を限定することによって、かえって「医療崩壊」の全体像を冷静に提示できていると思った。それは「医師不足」すなわち数値化可能な「量的事実」をよりどころとして医療を見ているからだ。日本医療を考察する視点は、誰しも無数に定立できようが、最近の「崩壊」論には、時として医師側の「被害者意識」に基づくマスコミ、患者、行政、司法などに対する「反感」を単に吐露するようなものも少なくはない。

本書はそのような崩壊論とは距離を置き、医師不足をあくまで数値をもとに歴史的に検証する中で、その不足の淵源が昭和23年に医療法施行規則として定められた医療機関の「人員配置基準」にあることを明らかにする。それから約60年の間、この配置基準をもとに、一方では医師をはじめ医療者の総定員枠が決められ、他方では一医療機関の充たすべき最低人員基準が決められたのである。つまり同じ一つの基準が、一方では「総量規制の上限」として、他方では「必要規制の下限」として行政にとって都合よく使用されてきたのだ。そしてその結果として、今日、医師は不足し、地方病院は減少したのである。

これら本書の不足原因解明は、数値ベースであるだけに説得力はある。だが、せっかく歴史的に検証するのなら、われわれの記憶にあるはずの「忘れかけた事実」まで呼び起こす必要もあるのではないだろうか。「医療が過剰」だった時代の記憶を。

「1960年代以降に、患者や市民や消費者という立場から医療をめぐって語られた議論のなかでは、こんにちと同様の救急医療体制などの不備を問題視する「不足する医療」に関わる論点と同時に、「薬づけ」のような「過剰な医療」を指弾する近代医療批判があった。このことは忘れてはならない点だ。なぜなら、こんにち、いわゆる医療崩壊(地方の過疎地だけでなく、都市部でも産婦人科や救急医療などに従事する医師確保ができない状態)を引き起こしている背景要因の少なくとも一部は、この「過剰な医療」への国家レベルでの政策に由来しているからだ。」

現代思想,2008年2月号,「特集:医療崩壊.生命をめぐるエコノミー」,「リスク社会と医療『崩壊』」,美馬達哉)

このように、現在の医師不足は政府行政側の戦後一貫した「不足誘導政策」の結果というよりも、むしろ、60年代から70年代にかけて社会的に批判された「過剰医療」に対する政策的対応という側面もあることは想起されてよいだろう。

「私たちはどうも満足な医療を受けている気がしない。国民総医療費の伸びがGNPの伸びを上回るという”大量の医療”を受けているのに・・・・・。いやそれだからこそ、かもしれない。いわく薬づけ、いわく検査づけ・・・・・」

(朝日市民教室「日本の医療1:病人は告発している」,朝日新聞社,1973)

このように、少なくとも70年代初頭には、国民医療費は国民経済成長率を超えて伸びており、過剰な薬剤や検査に代表される「過剰医療」に対する社会的批判が存在していたのである。つまりわれわれは戦後60余年という時間の中で、ある時は「医療の過剰」を経験し、批判し、そして現在は「医療の不足」を経験し、批判している、というのが事実である。だがこれらをもって、「医療もまた歴史的産物であり、その評価や指導原理も移り変わりゆく」などと達観するのもよいが、それでは問題解決力のある洞察に、いつまでたってもたどり着くことはできないはずだ。

たとえば、問題を量的な、数値表現可能な領域に限定するとすれば、結局、「医療の需要と供給の調整」が歴史的に失敗してきたという事実だけが残るのではないだろうか。ある時は「多すぎ」、ある時は「少なすぎ」だったのだ。これは市場の需給を計画的に調整することをめざす、つまり「コマンド&コントロール」式の「医療の計画経済」が失敗してきたということを、とりあえず意味しているのだと思う。

三宅 啓  INITIATIVE INC.


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