闘病記の考察4: 情報の信頼性

Web1.0時代の「自主規制」

ネット上の医療情報について、よく問題視されるのが「情報の信頼性」です。また、「医療情報の質」の確保が重要だという議論もあります。対象が医療、つまり生命の安全にかかわることですから、たしかに情報の信憑性、鮮度、ソースの信頼性などが問題となるでしょう。HONIHCURACなど、海外の自主規制団体に見習って、日本でも医療情報配信の「倫理コード」など自主規制コードをつくり、それをもとに医療関連Webサイトを審査認定し、認定マークなどを発行する団体もあります。しかし、どの団体も闘病者、生活者から周知されていない現実があり、国内では効力を持つ動きになっていません。

これら「自主規制」によって医療情報の質を担保しようとする試みは、いずれにせよ、今日のWeb進化に対応できていません。なぜなら、これらの「自主規制」は、医療機関、企業、研究所など組織・団体だけを情報発信者と想定しており、「コマンド&コントロール」の縦型コミュニケーション発想を脱け出ていないからです。いわばWeb1.0の段階で思考停止してしまっているわけで、「特定少数の医療情報ソースを一定のルールで規制すれば、情報の質を確保できる」との暗黙の前提を墨守しているのです。しかし今日、医療情報においても、情報発信者は特定少数から「不特定多数無限大」へ移行しつつあります。発信主体は組織・団体のみならず、個人、少人数グループが多数を占めるにいたりました。こうなると、「規制コードをもとに、特定サイトの信頼性を審査・認定する」という行為自体が、そもそも物理的に不可能になっているのです。

新しい医療情報ガイドラインへ

このような現状に対し、従来のHONやURACにかわって、新しい状況に対応する医療情報ガイドラインを作る動きが今年はじまりました。 それが今年10月末に発表されたOpen Healthcare Manifesto」です。Webで医療情報を扱う際の基本ルールを18項目にまとめ上げていますが、これは今後、多数のディスカッションを経てバージョンアップされる予定です。また、従来、HONやURACがそれぞれの基準に即して審査認定の上、認定マークを交付し、それをサイト掲示していましたが、これも今後、審査・認定抜きで、「マニフェスト」に賛同するサイト主催者が、ウィジェットをサイト上に貼り付ける方式になりそうです。たしかに、Webサイトを「審査・認定」するという思考回路自体が、すでにネット的な精神とは親和性が低いと言えそうです。

闘病記の信頼性

よく指摘されることですが、日本には米国のような、実名でブログや個人サイトを主催するネット文化がありません。それは日本文化固有の一つの傾向であり、それが正しいか間違っているかを、一概に決め付けることはできません。というわけで、ネット上の闘病記も匿名で書かれることがほとんどです。できれば実名で書いてほしいところですが、闘病体験の記録という性格上、「個人情報を実名でどこまで公開できるか」が、なかなかに難しい問題となります。個人情報保護という観点と、闘病体験の共有というアクションとは、何か根本的に次元が違う問題のような気もしますが、それはまた改めて考えてみたいと思います。

とにかく、匿名で書かれた闘病記の信頼性を、どのように評価するかが問題となります。匿名ゆえの虚偽や意図的誘導の余地があることは否定できませんが、実際に、膨大な数の闘病記を読んでみると、そのような心配も氷解しました。もちろん、怪しいもの、明らかに健康食品業者が偽装したもの、なども見つかりましたが、それらはほんの少数です。それに、ここがポイントなのですが、「たくさんの闘病記を読むうちに、情報を見分ける眼力が上がってきた」ということが体験されました。闘病記にとどまらず、ネット上の医療情報の信頼性を確保し、安全な利用を図るためには、次の二つの考え方があります。

  1. 送り手側(情報ソース)の信頼性を確保し、提供情報の質を高める
  2. 受け手側(読者)の情報評価能力を高め、提供情報の質を見分ける

このうち1は、前項で見たように、まず自主規制団体が始め、それを新しい状況に対応できるように新ガイドライン策定が進められています。そして2が、これからのネット上の医療情報利用で非常に重要になる、受け手側が情報の信頼性を見極める力です。このことを「医療情報のリテラシー」と呼んでも良いでしょう。私たちは、この意味での「情報リテラシー」 という考え方を、日本におけるWeb医療情報サービスのすばらしい先進的試行である、「Melit」に啓発され教えられました。

さて、上記二つの考え方は両方とも重要ですが、今後、2の重要性がまさっていくのではないかと思われます。送り手側を100%規制することは不可能ですから、インターネット上の情報は、梅田望夫さんが言うように、今後も玉石混交状態が続くと考えたほうがよいでしょう。そうすると、それを見分けて玉をふるいわけるツールと、選択し批評するユーザーのリテラシーがなによりも重要になってくるでしょう。闘病記の利用上の信頼性は、闘病記自体よりも、それを利用するユーザーのリテラシーに依存してくる 、と言えそうです。しかし、だからと言ってこのリテラシーというものは、獲得する上で、非常な努力を要するようなものでもありません。むしろ、経験量に依存する度合いが高いのだろうと思います。Webで情報に接すれば接するほど、ひとりでに獲得される力なのではないでしょうか。

それにしても、片や、闘病記自体の信頼性も、もちろん重要です。これはまた、稿を改めて考察したいと思います。

三宅 啓   INITIATIVE INC.


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