医療経済-福祉厚生社会と伊藤計劃

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先月6月18日、政府は「新成長戦略~「元気な日本」復活のシナリオ」を閣議決定した。この中で「強みを活かす成長分野」として以下の三分野があげられている。

(1)グリーン・イノベーション
(2) ライフ・イノベーション
(3) アジア経済

この「(2)ライフ・イノベーション」には「医療・介護・健康関連産業を成長牽引産業へ」との副題が付されている。昨年来、政府は医療・介護分野を「成長の柱」として位置づけてきたのだが、こうも声高に「医療を成長分野に!」と言われてしまうと、なにか違和感を強く感じてしまう。たしかに特にバイオ先端技術などが次世代成長分野であることは間違いないのだが、それでも「医療・介護で経済成長!」などとハデにブチ上げられると、そのお手軽で軽薄な調子の良さに居心地の悪さを覚えるのだ。

そんなことを考えているさなかに、たまたま書店で手に取った「ハーモニー」(伊藤計劃、早川書房)には、まるで当方の心を見透かすかのように、以下の紹介文が付されていた。

「一緒に死のう、この世界に抵抗するために――」
御冷ミァハは言い、みっつの白い錠剤を差し出した。21世紀後半、〈大災禍〉と呼ばれる世界的な混乱を経て、人類は医療経済を核にした福祉厚生社会を実現していた。誰もが互いのことを気遣い、親密に“しなければならない”ユートピア。体内を常時監視する医療分子により病気はほぼ消滅し、人々は健康を第一とする価値観による社会を形成したのだ。そんな優しさと倫理が真綿で首を絞めるような世界に抵抗するため、3人の少女は餓死することを選択した ──。
それから13 年後、医療社会に襲いかかった未曾有の危機に、かつて自殺を試みて死ねなかった少女、現在は世界保健機構の生命監査機関に所属する霧慧トァンは、あのときの自殺の試みで唯ひとり死んだはずの友人の影を見る。これは、“人類”の最終局面に立ち会ったふたりの女性の物語 ──。『虐殺器官』の著者が描く、ユートピアの臨界点。

この「医療経済を核にした福祉厚生社会」というのが、政府「新成長戦略」と二重写しになるのだが、ではこのような医療経済をベースとする「生権力-生府」が君臨する社会とはいかなるものなのか。その一つの論理的可能性をこの作品「ハーモニー」は描いている。ちなみにこの作品は、2009年の星雲賞日本長編部門、日本SF大賞、ベストSF国内篇など主要各賞グランプリを総ナメしている。

作者である伊藤計劃氏は癌にかかり、厳しい闘病の末、昨年はじめに亡くなっている。はてなダイアリーのブログ「第弐位相」に膨大な映画、小説、アニメ批評を残しているが、彼自身の病気についても「ロマンス(物語)のかみさまは病気がお好き」(「第弐位相」、2006年4月10日)などのエントリを書いている。このエントリで伊藤計劃氏は、次のように病気につきまとう神話性や文学(物語)性について述べている。

スーザン・ソンタグは「隠喩としての病」で、かつて「結核」がそうであったような、「病」につきまとう神話性・文学性を解体して、「ただの病気」として病に付き合うことを探ったけれど、これは彼女自身が乳癌を患い、その戦いの過程から生まれてきたものであって(病と「戦う」という表現自体が、文学的な煙幕、としての神話性をすでにして帯びているような気もするなあ)、ガンやエイズといった「死に至る病」の、いわば大仰さ、から逃れるのはなかなか難しそうです。

今回の政府「新成長戦略」にせよ、病気や闘病体験を「物語」で捉えようとする風潮にせよ、はたまた過剰な「善意」で医療を語ろうとする風潮にせよ、何かとんでもない医療についての誤解や予断に基づいているような気がしていたが、伊藤計劃の作品の中にそれらを検討するヒントがあると思う。また伊藤氏の第一長編「虐殺器官」だが、この作品は凄すぎる。文句なく今日の第一級の文学的成果である。

三宅 啓  INITIATIVE


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