2万人の闘病体験

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なんとか来週中にはTOBYO収録の闘病サイトは2万件になるはずだ。これで日本ではじめて2万人が体験した医療事実が可視化され、さらにそれら事実によって「日本医療の現実」が可視化されることになる。日本では医療機関ごとのアウトカム(治療結果)データはほとんど公表されていない。仮に公表されていたとしてもそれは医療機関側の勝手な基準にもとづくデータであり、他の医療機関と比較することはできず、結局、消費者の医療選択にほとんど役立っていない。

アウトカムデータだけでなく、日本では「医療情報過多における医療情報飢餓」という奇妙な事態が起きている。書店には多数の「病院ガイド」本が並び、ネット上にはあふれるほどの「医療情報」がありながら、肝心の医療選択のために必要な具体的データは手に入らないのである。そのため、これまで日本の消費者は病院選択一つとってみても、身内や知人などの狭いクチコミ情報に頼らざるをえなかったのである。

TOBYOが収集した闘病体験は一般論や建前理念などではなく、どれも生身の患者自身が実際に体験した「切れば血の出るような事実」である。とにかくこれら「2万人が体験した事実」を実際の医療選択に活用していただきたい。

このように大規模に闘病体験を集約提供できたのは、なんといっても闘病者が積極的に自分の体験を公開してくれたからである。特に2005年頃から顕著になってきたのだが、やはりブログの隆盛などを背景とした「自発的で自然発生的なクラウドソーシング」に負うところが大きいだろう。まさに「ネット的な現象」として、日本の近代医療史上はじまって以来の爆発的な患者体験の公開が起きたのであり、この新たな情況の受け皿たらんとしてTOBYOプロジェクトは開始されたのだ。

だが、旧来の「闘病記」に慣れ親しんできた人々は、これらの現象を「闘病記の興隆」としてのみ一面的に見ており、その本質をまったく理解できていないようだ。たまたまあるブログに、ある闘病記研究会に関する次のような学者の発言が記されているのを目にした。

「今私たちは、まさしく闘病記の興隆と呼ぶにふさわしい場に立っている。もしかしたら、その焦点に立っているのかもしれない。もし、50年後100年後に闘病記の歴史というものを書く歴史家が現れたなら、闘病記が興隆し、社会的・文化的な注目を浴びるようになった、まさにその兆しとして記録される場になるでしょう」(「報告「闘病記フォーラム」2009.10.24」)

その「闘病記研究会」とやらがかくも「歴史的な場」であるとは不覚にも知らなかったが、こんな大げさで時代がかった大上段の発言を読むと、この講演者はまったく現実を理解できていないのではないかと心配になる。現在起きているのは「闘病記の興隆」などという表層現象ではない。ブログなどソーシャルメディアの勃興による「医療におけるUGCあるいはCGCの爆発」というまったく新たな事態であり、まさに「ネット的な現象」なのだ。もはや「闘病記という古い制度」を超えて、自由で多様な表現形式の闘病体験ドキュメントがネット上に生成されているのであり、それを旧来の「闘病記」という「制度」に押し込めようとするのは無理である。

また「50年後100年後に闘病記の歴史というものを書く歴史家が現れたなら・・・」というくだりだが、そのような「歴史家」は現れることはないだろうし、すでに「闘病記」という古い「制度」の啓蒙家や評論家は不要になっているのだ。

三宅 啓  INITIATIVE INC.


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