医療、社会的共通資本、パブリック・スフィア

publicsphere

今週はじめ、「医療と市場」というエントリーで次のように記しておきました。

「しかし、さらに次のような問いが発せられるでしょう。『はたして医療を全面的に市場原理に委ねて良いものか?』。では医療は現在の日本のように、国家統制のもとに全面的に委ねるのが正しい姿なのでしょうか。はたまた、市場でも国家でもない、『第3の道』が構想されるべきなのでしょうか?。このように、医療を理念的に定義し位置づけ直す作業も、実は社会の変化に対応して進められるべきものです。」

ここで「第3の道」という言葉を使いましたが、実はかねてから当方の関心は、このいまだ定かならぬ「第3の道」にあるのです。もとより医療系ベンチャーを起業したのも、この「第3の道」を志してのことでした。

Publicという言葉

全き市場原理にも、全き計画経済にも属さないような道。私的でもなく公的でもない道。英語の「Public」という言葉が一番ぴったりくるのですが、日本語でこの「Public」に該当する言葉がありません。あえて「公共的」と言ってしまうと、何か国家に収斂されるイメージがつきまとい、どうも興ざめです。

医療が位置づけられるべき場所は、市場でも国家でもなく、本当はパブリックな領域(Public Sphere)なのではないか、ということをずっと考えてきました。しかし、先日のエントリーにも述べたように、今日では「市場と競争」の側面から考えたほうが、現実的であり説得的であるように見えます。とりわけ戦前から連綿と続く官民談合体質が根強いこの日本では、市場・競争原理は冷涼な風のように爽やかです。

それでもなお、医療をパブリックな領域に位置づける必要はあると考えています。ただ、では現実的にどのような原理で経済的に医療制度をドライブするのか、できるのか、についてはまだまだ視界不良です。

社会的共通資本

さて、当方の医療に対する基本的な問題意識は以上のようなものですが、昨日の日経夕刊に宇沢弘文氏の一文が掲載されているのに偶然でくわし、興味津々で読みました。

宇沢氏が提起する「社会的共通資本」という中心的概念ですが、次のように要約されています。「社会的共通資本とは、国家のものでも個人のものでもない、皆で守るべき社会的装置のことです。発想したきっかけの一つは水俣湾でした。水銀で汚染される前は、魚がわきだすといわれるほどの素晴らしい漁場でした。それは室町時代以来、漁民が自らに厳しいルールを課し、違反した者には制裁を加えてまさに命がけで守ってきたから維持できていた共有の財産です。」

この社会的共通資本はまた、歴史的概念としての「コモンズ」にも関連付けられており、日本の入会地、中近東の地下水などがこれに該当します。宇沢氏はこの社会的共通資本の中に、医療と教育を位置づけているわけです。それは個人が私有するものでも、また国家が統制するものでもなく、当事者が専門家としての職業的な知見とか規律によって運営していくものであるとされているのです。

しかしながら、このあたりの「専門家の職業的知見」という考え方には、少し抵抗感があります。これを文字通り受け取ると、ギルド的な圧力団体や「プロフェッショナル・フリーダム」という医療の旧弊を認めてしまうような気がするからです。

コモンズと「現れの空間」

ところで「コモンズ」という言葉には、クリエイティブ・コモンズをはじめ、何かインターネットと強い親和性があることが感じられます。そして、インターネットはまさに「パブリック・スフィア」の最たるものであり、それはハンナ・アーレントが「現れの空間」と呼んだものにほとんど等しいとも思えます。

医療、社会的共通資本、コモンズ、パブリック・スフィアー、現れの空間、インターネット。

どうやら当方、一方ではマーケティングや競争戦略を企画しながら、他方では以上のように、「Public」という中心的概念に励起されて「医療」を考え続けていくことになりそうです。この矛盾がまた面白い。

三宅 啓  INITIATIVE INC.


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