書評:「ウェブはバカと暇人のもの」(中川淳一郎著、光文社新書)

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春から「話題の書」であることは知っていたが、ようやく遅まきながら通読した。本書を読みながら、かつて自分が経験したことがフラッシュバックを伴って思い出された。あれはたしかドットコムバブル崩壊直後の2001-2002年頃だったと思うが、当時、私は広告会社を辞し、ウェブ制作会社で大手通信キャリア企業が運営していた誰もが知っている某ISPポータルのコンテンツ企画・運営に携わっていた。本書にあるエピソードや著者の主張は、当時の私が経験したことや考えていたこととほとんど同一のものだ。だから正直言って、ある意味で「自嘲的な懐かしさ」といった感覚に領されたのは間違いない。

本書でも繰り返し述べられている「B級で、おバカな、エンタメ企画」が、当時、まさにコンテンツ企画の王道であり、またクライアント筋から要求されていたことだ。だがこれら「B級で、おバカな」コンテンツ企画とサイト運営に携わる現場は、やり場のない閉塞感に強くとらわれていたのである。第一、作っていても「面白くない」のである。そして、たまたまある若手タレントを起用した「B級、おバカ」コンテンツが、タレント自身の粗相によって炎上した「事件」を経て、とうとう「こんな世界とは絶縁したい」と決め、その現場から去ったのである。

その後、「パブリックスフィアとしてのウェブ」という問題意識のもとに、医療の新しいサービスを目指してきたわけだが、本書にあるような「The other side of the web」の現実は意識的に無視してきたのである。だから本書を読んで、「自嘲的な懐かしさ」があると同時に、「まだこんなことやってるのか」という驚きも強い。何か2002年頃で時間が停止してしまい、「時代のカルデサック=停滞空間」に迷い込んでしまったような、そんな奇妙な感覚を味わったのである。考えてみればウェブは多層構造になっているのであり、ある時代の文化や風俗が、リニアに栄枯盛衰を繰り返し次代の文化風俗に交替するのではなく、それらは消滅することなくウェブ上に並列に蓄積されていくのだろう。だから、「2002年の現実」はいまだにウェブ上に存在するのである。そのことを本書は教えてくれている。

そして、たしかに本書で詳述されている「日本語ウェブの現実」は否定できない。だが、この「現実」をそのまま容認して、そこへ適応すべきだという議論には与したくない。それは日本語ウェブの一断面ではあるが、すべてではないからだ。そして本書に示されたウェブの一断面以外に、「どのように多様で知的な領域を創造することができるか」という問題にしか、今の当方の関心はない。その意味で「私の2002年」は終わっているのだ。

三宅 啓  INITIATIVE INC.


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  1. ピンバック: 本の宇宙(そら) [風と雲の郷 貴賓館]

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