2009年の吉本隆明

昨夜のNHK教育「吉本隆明 語る ~沈黙から芸術まで~」。夕飯時、妻から番組の存在を聞かされた時、一瞬、見ようか見まいか躊躇した。しかし放送時間になると、やはり見てしまわずにはおれなかった。なんとなく、これが大勢の聴衆を前にした吉本の最後の講演になるような気がしたからだ。

番組を見てみると、やはり「ある覚悟」を抱いて聴衆の前に立つ吉本氏の姿を確認することになった。老醜を隠しもせず、まわらぬ不自由な口を懸命に開いて押し出す声は、時には明確な言葉を結ぶことなく空中に消失し、時には不意に降ってきた想念に中断され、本人の意図に反してあちこちに砕け飛沫と散る結果となった。だが、それでもなお一脈の想念というものが、強い説得力を伴って聴き手に迫ってくるのである。だから、言いたいことは「200%」わかるのである。

われわれの世代は好むと好まざるとにかかわらず、青年期から吉本隆明氏の影響を強く受けてきた。当方もこれまで氏の著書を大量に読んできたが、主著におけるその独特な文体よりも、むしろコラムや対談での語り言葉の方が精彩を放つ場面があった。たとえば「状況への発言」の「主・客」による架空対談など、ある種の掛け合い漫才のような面白さがあり、いつも読むのが楽しみだった。その意味では当方は、吉本のあまり良い読み手ではなかったのだろう。しかし、今回の講演に接してみると、やはり平易な語り言葉に吉本がこだわって来たことが改めてわかった。

「言語の根と幹には沈黙がある。そして、言語の枝葉にはコミュニケーションをおこなうための機能的な言葉がある」。

闘病記や「患者の語り」など患者発の言語活動に着目したサービスを考えるとき、「患者の沈黙」という膨大な領域があることを忘却しがちになる。闘病記に記された言葉は、自己表出なのか指示表出なのか。

やっぱり吉本隆明を読んだり聞いたりすると、その時々の自分の直近テーマに還ってきてしまうのである。なぜか。

三宅 啓  INITIATIVE INC.


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