患者の「営業力」?

zakkicho

昨日の日経夕刊「生活コンシューマー」欄に「良い医療 患者も『作る』」「医師との対話に工夫を」との見出しの記事を偶然目にしました。まず、この「良い医療 患者も『作る』」という見出しに大きな「?」が立ち上がりました。これって「良い医療は患者を作ってしまうのだ」との意味にとると、かなりのブラックユーモアになりますが、まさか日経が医療ネタでそんな記事を掲載するわけがない、との「メディア・リテラシー」を発揮するにおよんで、「これは、良い医療というものは患者も参加して作るものだ」と解釈し直したのであります。へそ曲がりですみません。

ところでこの記事は、「患者コミュニケーション改善」に取り組むあるNPOの活動を紹介したものですが、何か割り切れない読後感が残りました。この割り切れなさ、違和感と言ってもいいですが、これは一体何に起因するものかと考えました。

「(前略)しかも今は、『治療方針は医者にお任せ』という時代ではない。コミュニケーションを通じて患者が自分の状況をきちんと理解し、的確に意思表明することが欠かせない。医者も変わる必要があるが、患者からできることもあると考えた。講座ではロールプレーや伝言ゲームなどを通じて、自分の話し方の癖は何か、どのような説明であれば相手に伝わりやすいか、などを繰り返して練習する。(後略)」

どうやら患者側の自己説明能力を高め、医療現場での対医療者コミュニケーションを円滑にしていこう、というのがこのNPO団体の目指していることのようです。

「質問にあたっては、どういう言い方なら相手が答えやすいかも考えたい。例えば、処方された薬について『どんな副作用があるんですか?』と聞くと、医者は『この人は副作用を心配して薬を飲まないかも知れない』と身構えるかもしれない。『この薬を飲んでいて、気をつけなければいけない症状は?』なら、飲むことが前提と伝わる。」

当方の割り切れなさ、違和感の原因を改めて探ってみると、それはどうも、上記記事のようなところにありそうだとわかりました。このケースでは、医療現場で想定されるやりとりの中で「ダメな説明例」と「良い説明例」が対比的に例示されているわけですが、このような「コミュニケーションのハウツー」が、はたして医療現場で本当に患者側に求められることなのでしょうか?。

今日、医療現場におけるコミュニケーションの重要性は多方面から指摘されています。特に医療者側の説明責任と説明能力がますます問題にされるようになってきていることは、論を俟ちません。また、もちろん患者は医療の第一の当事者ですから、自己の状態をきちんと説明できて、意志決定を明確に伝えなければなりません。しかし、社会的に必要なコミュニケーション能力とくらべ、医療現場とはいえ、何か特段の能力が患者に要請されるべきものでしょうか?。ここがまずひっかかるのです。

上記の処方薬をめぐる想定シーンでは、煎じ詰めれば「こう言えば、相手はこう反応する」というような「想定問答集」みたいな話しになっているわけで、これは「成功する営業トーク集」などと、一体どこがどう違うのでしょうか。

「医者が忙しいことも多い。『今日はポイントしかお聞きしなかったが、もう少しお聞きしたい。どうしたらいいですか?』と尋ねれば、別に時間をとってくれる場合もある。」
「『あの時の先生の一言がうれしかった。』こんな一言が、温かい関係を作る一歩になる。」「診察室に入ったときの『あいさつ』から始まるよりよいコミュニケーションは、患者と専門家が一緒に医療を作る『協働』のための、大事な一歩だ。」

このような箇所を読むと、ますます困惑はつのり、ますます「これは営業、セールスマンのハウツー本か」とへそ曲がりの邪推は高じ、「患者の営業力強化」などと不埒な造語まで想起される始末。

医療現場で「医療者にほめられる患者」、「医療者に好印象を持たれる患者」を患者が演じる必要は毫もありません。ただ、普通の社会的コミュニケーション能力と礼節を弁える常識は求められます。しかしこれは、医療に限ったことではありません。そもそも、「患者の営業力」をみがく実践練習など必要ないのです。

「賢い患者」になる努力をするよりも、患者にならない努力をすべきなのです。

三宅 啓  INITIATIVE INC.


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