書評:「医学は科学ではない」

「医学は科学ではない」 (米山公啓、ちくま新書、¥680)
遅ればせながら読了。ちょうどタイミングよく、医療情報提供において「医療情報の確かさ」をどのように考えればよいか、Googleのアダム・ボスワース氏の論考を材料に思料していたこともあり、本書から非常に刺激的な示唆を貰った。

Web上の医療情報については、このブログでも再三取り上げてきたように、その情報の「信頼性、正確さ」をどのように確保するかが常に問題となってきた。「インターネット医療」とか「e-ヘルス」などと呼ばれてきたインターネットを利用する情報サービスの歴史は、極論すればこの「情報の信頼性、正確さ」の問題をめぐって、弥縫的な対応を論じたり講じたりしてきたにすぎないと言えよう。

noscience当方はこれら「医療情報の信頼性、正確さ」をめぐる皮相的な言説に、なぜか違和感を感じ続けてきた。もちろん「信頼性、正確さ」をないがしろにせよというつもりはないが、何かこのような論議には、ものごと(たとえば医療)を前へ向けてドライブし、変えて行こうというベクトルがないような気がしたのである。

これら「信頼性、正確さ」論者は結局、「何が正しく、何が正しくないか」に関する機械的な「基準」を自分たちでつくり出し、それをもとに他人のコンテンツを「認定」するなどという、おせっかいなことをやりかねないのである。

「医療情報の信頼性、正確さ」を論じるとすれば、より根底的な「医療の信頼性、正確さとは何か」という問いを先に論じなければならないだろう。そのように本質から考察を進めない「医療情報」論者が持ち出す基準は決まって「EBM」である。つまり、「医療には、絶対的に正しい基準が存在し、それに依拠する情報は信頼できかつ正確な情報である」ということを無邪気に夢想信奉し、その「真理の基準」としてエビデンスを絶対視する人たちが存在するということだ。しかし問題は、現実の医療はそのようにワークしていないという点にこそある。

本書の「まえがき」には次のように述べられている。
「医学と言うのは、科学的な根拠にもとづき、体系付けられた学問だと信じられている。ところが、実際の臨床の現場では、意外にも、医者の経験に基づく判断であったり、いわゆるカンで治療が決められたりしている。EBM(実証に基づく医療)によって治療や診断が行われているのは、医療行為のうちの半分にも満たない。それほど臨床医学は曖昧な部分を持っている。そこには医学の非科学的な部分が存在し、それこそが医学の本質のように見える。」

著者は「医療は共同幻想である」と説く。患者側の幻想、医療者側の幻想。それら交差することのない両様の幻想によって「医療」があるとすれば、そこに誤解や不信や諍いまでが生起する可能性がある。逆に「共同幻想」という現実に覚醒すれば、新たなルールを創造していく道が開ける。閉域としての共同幻想を、外へ向かって開くこと。「絶対」信奉から離れること。100%論理的に詰めることも、100%偶然にゆだねることもできない「医療」の現実を見ること。

本書を読みながら、どんどん前向きに医療を考えることができた。Web上の医療情報提供を考えるときにも、本書は非常に生産的なテキストである。非常に多くの示唆を貰った。著者に感謝。

三宅 啓  INITIATIVE INC.


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