機は熟した。ソーシャル・メディア・マーケティング。

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連休も終わり、今日からまたいつもどおり街は動き始めた。当方、仕事をしながら中途半端に休んだので、連休明け早々、なんだか疲れが出てきたような気がする。細野さんや岡本太郎からエネルギーはもらったのだが、週明けからミーティングの予定が狂ったりもして、調子よくない。今日など、帰ってワインなど飲んでぐっすり睡眠を取りたいところ。

ここのところ、やはりdimensionsに力を入れて取り組んでいる。一方ではバグフィックスなどシステム修正の山をこなさなければならないのだが、やはりこのサービスに関してどんなパーセプションを作り上げるかということが問題だ。そしてソーシャル・メディアの時代というフォローの風を生かしつつ、どう「リサーチ・イノベーション」へつないでいくかも重要だ。「リサーチ・イノベーション」については、2月にこのブログにポストした三篇の論考エントリが理論的支柱になるだろう。

一方、先月、広告業界では電通が「ソーシャルメディアを活用したマーケティング分野のソリューション開発」として「ソーシャルメディア上の声を『傾聴』し、企業のマーケティング戦略に活用する『ソーシャルリスニング』のソリューション手法=Sora-lis」を発表し、博報堂グループはソーシャル・メディアをテーマとするグループ横断組織「博報堂DYグループ・ソーシャルメディア・マーケティングセンター」を発足させた。
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岡本太郎のベンチャー・スピリッツ

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竹橋の国立近代美術館で岡本太郎展を見た。悪い予感があたった。予定よりも少し遅れて、それでも午前10時過ぎに到着したのだが、すでに会場は長蛇の列だった。それでもスムーズに入場できたが会場内は大混雑。ゴールデンウィークだし、また最近テレビで岡本太郎をかなり取り上げてもいたし、ま、こんなものだろうと思った。しかたない。

しかし、たとえ大混雑の会場で作品が見にくいことがあったとしても、やはりこの展覧会を見てよかったと思った。むしろ、このような雑踏の会場こそが岡本太郎の作品には似つかわしいのではないか。

今回の展覧会では「NON」という岡本太郎の基本姿勢に焦点をあてていたが、このような「否定形」を日本人は好まないはずだ。いつ頃からか、「ネガティブよりもポジティブを!」という空気が日本を覆い尽くしてすでに久しい。だが岡本太郎のように根底から革新的な芸術表現を追求していこうとすれば、それは既存の芸術に鋭い「NON」を突きつけることになる。現にあるものをまず否定してみなければ、本質的に新しいものを作ることはできないはずだ。そのために、岡本太郎はピカソをはじめ既存芸術から日本文化までを、すべて否定し続けた。その「否定のエネルギー」たるや凄まじいものだし、またそれを終生継続したこと自体がすごいことだ。 続きを読む

連休の過ごし方


大型連休進行中。

当方、今年のゴールデンウィークは「仕事しながら休む」という変則的なスタイル。連休谷間も仕事に出たが、朝の電車など結構出勤する人が多かった。

先月の月末、細野さんの話題の新作“Hosonova”が出た。当然、早速CD屋に走り、買って聞いてみたが、すごくいい。何というか、ちょうど今の、つまり3.11以降の時代の気分に、どことなくぴったり合っているような気がする。どこにも「がんばれ!」などという力んだ言葉はないのだが、脱力したこの感じが実に気分いい。33年前の「Paraiso」から、そのまんま時空を越えて届けられたような楽曲もあるのだが、耳を澄ませばあちこちに、この30年間の試行の跡がうかがえる。待望された肉声のPOPSということでは「Paraiso」以来の作品。

その作品群の中でも一番チャーミングな曲「悲しみのラッキースター」。ビデオが公開されたのでご紹介してみた。マン・レイみたいな、どこかシュールレアリスムな映像を想起させる。だがこのCDは、表面上は穏やかな表情を持ちながらも、同時に怖い顔を持ち、玄妙な味わいの曲があるのが興味深いところ。たとえば4曲目の「ローズマリー、ティートゥリー」の次の一節。

It’s a good day to die.

楽しく、滋味深く、リラックスできて、心優しい、そして何か心に説明不能な淡々とした悲哀と違和感が残る。そんな素敵で極上の楽曲群。毎日、聞いていたい。

そんなことを考えながらTOBYOプロジェクトは進む。ますます面白くなっていく。このまま進むだけ。

ぎこちなくこのまま、死ぬまで生きるだけ。 (“Walker’s Blues”)

三宅 啓  INITIATIVE INC.