dimensionsと今後のビジョン

TOBYO_vision

新緑の季節となった。石神井公園では菖蒲の葉があちこちでぴんぴんと元気よく伸びている。

dioensionsの7月サービスインへ向け準備をしているが、やっと今月からデモンストレーションが可能となり、ご協力してくださる皆さん方に試用をお願いしている。まだ未整備部分も多々あり、これからバグフィックスと改善に力を入れていかなければならない。同時に前回エントリで少し触れたように、TOBYOプロジェクトのビジョン再構築にも想いをめぐらしている。

上図のように、今後のTOBYOプロジェクトはTOBYO本体とdimensionsに加え、闘病者調査パネルを創造する方向へ向かう。三極構造としてプロジェクト全体を構想することによって、TOBYO本体とdimensionsの位置づけと役割が一層明確になると思う。特にdimensionsについては、ファクト・ファインディング・ツールと位置づけを限定することによって、他の外部パートナーのサービスとの連携や接続を重視していきたい。多様なビジネス・スキームに柔軟に対応できるようにしたい。

実際にはdimensionsは調査仮説や製品開発コンセプト仮説など、たとえば仮説構築のための支援ツール、あるいは定常的な消費オーディット・ツールという使い方が想定される。つまりdimensionsは、関連事実を素材収集しそこからアイデアや気づきを効率よく得るためのツールであり、また患者の闘病現場で何が起きているかを把握するためのツールである。

このようにdimensionsは単独ですべての調査活動を網羅するものではない。いわばさまざまな調査に先立つ、プレ・ツールのようなものを想起していただけたらと思う。もちろん闘病体験データを大量に出力することもできるが、それらを集計分析しインサイト・レポート等にまとめて報告する役割は、外部の協力パートナーにお願いしたい。 続きを読む

TOBYOプロジェクトのビジョン再考

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前回エントリで日本の「失われた20年」について触れた。たまたま読んだ「郵便的不安たちβ」(東浩紀、河出文庫)の冒頭「状況論」に80年代-90年代を総括する優れた評論があり、なるほど「失われた20年」は「バブルの80年代」の検討抜きには理解しがたいのかも知れないと気づいた。思い返せば、80年代という時代はポストモダニストと企業戦士が並び立つような奇妙な時代であった。「ニューアカ」と呼ばれた現代思想ブームと「ジャパン・アズ・ナンバーワン」が矛盾せずに並立するような時代であった。この中で無邪気に「世界の先端を行くポストモダン社会=日本」という論陣が張られたが、今にして思えば、これらは古い「日本システム」を無批判に肯定する方向をもっていたのではないか。ポストモダニストも企業戦士もいつの間にか姿を消したが、無批判に「日本」を称揚する変奏曲は、さまざまに趣向を変えながらその後も反復されている。

ところで「郵便的不安たちβ」という評論集だが、この表題の「郵便的」という言葉に何か強く惹かれるものがある。たとえばネット上の闘病ドキュメントであるが、これも遠くの見知らぬ人にあてた郵便のようなものかも知れない。それが誰かのもとに届けられ、そして読まれるかどうかはわからないが、確かに自分の体験をネットに公開するという行為は、どこか郵便的な行為と似ている。そう考えると、TOBYOの役割はさしずめ郵便局ということになるだろう。ネット上に投函された郵便を、それを必要とする誰かのもとに確実に届けるために、効率よく仕分け整理分類することがTOBYOの役割と言えるだろう。

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千鳥ヶ淵を歩きながら考えたこと

Na_no_Hana

陽光の千鳥ヶ淵。もうソメイヨシノは盛りを過ぎそうだったが、あちこちに咲くお堀端の菜の花が春風に揺れてきれいだった。今日、ミーティングの約束時間まで、しばらく近所の千鳥ヶ淵を歩いて考えた。

今回の震災についてさまざまな論考をひと通り読んだが、震災を契機に日本の危機をあらためて論じるものが多い。ちょうど10年くらい前に「失われた10年」ということが言われていたわけだが、それでも日本は切迫した危機感というものを持たないまま、さらにその後の10年を怠惰に過ごしてしまった。日本全体が「ゆでがえる」化するままに奈落へ転落しつつある現実を、今回の震災は我々の眼前にこれでもかと突きつけている。「覚醒せよ!」と言わんばかりに。

この20年間にわたる政治・経済・社会の危機の深化を、おそらくこの震災は一挙に早めることになるだろう。それはまた、前世紀後半の著しい成長の時代からの根源的な訣別を意味するだろう。「幸福な時代」と今日とを分かつ不連続な切断線が今回の地震によって引かれたのだ。だから以前の状態を復元するのではなく、新しい状態を創造するほかない。復元図は津波にさらわれ、日々の連続は切断されたのだから。

このような時代において、私たちは医療分野におけるイノベーションにチャレンジしている。そして、そのことの意味を考えながらdimensions開発を進めている。

三宅 啓  INITIATIVE INC.

書評:「医療鎖国 ~なぜ日本ではがん新薬が使えないのか~」中田敏博、文春新書

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医療を自分のテーマにして以来、さまざまな医療関係の方々からお話を聞いたり、医療関係の本を読んだりしてきたのだが、それらに何か根本的な違和感というものを常に抱き続けてきたと思う。その違和感が何に由来するかを考えてきたのだが、結局、「日本の医療を語る言説空間というものが、どういうわけか歪んでいる」というぼんやりした印象を持つに至ったのである。そのことをこのブログでさまざまに書いてきたわけだが、本書を読み、これまでのぼんやりした「違和感」の霧が晴れ上がったような気がした。日本医療は鎖国していたのだ。

この「鎖国」は、米国シリコンバレーで医療ベンチャーキャピタルを起業した元医師の目から、つまり「外部」の専門家から可視化されたのである。なるほど「鎖国」を内部から見通すことは難しい。そして「鎖国」という指摘によって、今までぼんやりと、しかもてんでばらばらに存在しているかのように見えた日本医療を取り巻く問題の諸相が、一挙にわかりやすく、はっきりと見渡せるようになった。良書である。 続きを読む

米国Health2.0サイトにTOBYOデモのビデオが登場

TOBYO_demo2010SF

4月になり桜もようやく満開へ。今週末が見頃か。それにしても寒い日が続く。地震後、世の中全体がシュリンクした感があるが、それでも少しづつ日常が戻ってきている。しかし、原発事故の行方はいまだに視界不良。過度の楽観論も悲観論も要らないから、ただ事実と、それが示す今後のありうべき可能性だけを冷静に公開してもらいたい。

当方の協力プログラマが被災地病院のサーバ修理に出向いたりと、TOBYOプロジェクトにとっても地震の影響は少なからずあったが、年初から着手してきたdimensions開発仕上げも一段落。まだバグフィックスや運用管理ツールなどを残しているのだが、立ちはだかっていた諸課題はクリアされ、基本機能をひととおりデモすることができるようになった。やれやれであるが、当初予定から相当遅れてしまった。実質的なサービスインは7月頃からとなる見込みだ。

ところで久しぶりに米国Health2.0サイトをのぞいてみたら、昨年10月サンフランシスコ・カンファレンスにおけるTOBYOデモのビデオ  がアップされていた。これは主催者側が撮った公式ビデオである。これを今見るとつい半年前のことであるのに、何か大昔の出来事のように思え、妙な懐かしささえ感じられた。プレゼンターはメディカルインサイトの鈴木さん。しっかり見事なプレゼンをしてもらった。不幸にして年末に袂を分ったが、結局、「縁がなかった」ということか。これも遠い過去の出来事のような気がする。 続きを読む