「コマンド&コントロール」からブログ・マーケティングへ

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昨日のエントリは「手作りパンブーム」から書き始めたのだが、途中からあらぬ方向へ脱線してしまった。一応のアウトラインは準備していたが、それを無視するかたちで予期せぬ方向へと筆が進んでいった。ある意味でこういうハプニングは面白い。何事も万事が予定調和で進んでしまえば、アイデアや新しいビジョンが訪れることはない。ブログを書くということは単に自分の考えをまとめるだけの作業ではなく、書きながら考え、何か新しい視点を獲得する端緒をつかむような、そんな創造的活動なのかもしれない。

昨日書こうと考えていたのは、実はブログ・マーケティングのことだった。昨今の手作りパンブームに便乗する形で、家電各社はホームベーカリー機器に注力している。三洋電機はコメで安価にパン生地を作れるパン焼き器を、パナソニックはパリパリ感のあるパン皮が焼けるパン焼き器を最近発表している。いずれもブログを中心としたプロモーション活動を投入する予定らしい。

かつてはマスメディアやイベントで「ブーム」を仕掛け、ユーザーを巻き込むスタイルのマーケティング活動がフツウだったが、すでに前世紀の終り頃には、このような「コマンド&コントロール」型のマーケティング活動は期待される効果を生み出さなくなっていた。企業やメディアが新しいライフスタイルを提案し、消費者が唯々諾々とそれに付いて行くような時代は去り、消費者は企業やメディアを乗り越えてはるか遠くまで行ってしまったのである。 続きを読む

「ナラティブ」という「物語」を駁す

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「手作りパン」ブームらしい。そう言えば一般サイトのみならず、最近闘病サイトでも手作りパンの話題が多いのに気づく。自分で作ったおいしそうなパンの写真とレシピをアップする闘病サイトが増えているのだ。癌の患者であっても、難病の患者であっても、手作りパンを焼き、その自慢のパンの写真をブログにアップしている。誰かに見てもらうために。「どう?おいしそうでしょ!」。

とりたてて「闘病記」などというと、私たちは何か特別で鹿爪らしい、しかもどこか劇的で非日常的な展開のある「物語」を連想してしまいがちだ。だが、実際は闘病生活においても日常的な時間は淡々と流れている。そこにも手作りパンを焼くような趣味や娯楽の愉しみがあり、家族や友人との会話があり、要するに日常のフツウの生活と時間があるのだ。闘病生活を「闘病記」などという独特の視点で「物語」化したい人たちは、むしろそれら日常の視点が自らに欠落していることを知るべきだ。闘病生活は「戦時」ばかりではない。その多くは「平時」の時間なのだ。

これまで「従来の闘病記と闘病サイトとは質的に違う」ということを再三言ってきたわけだが、その違いの一つは、闘病サイトが闘病生活だけでなく日常生活全体を生き生きと描き出している点にある。もちろん闘病体験だけを焦点化したサイトも少なくないが、多くのサイトは趣味、旅行、娯楽、育児、教育など生活全体を描き出し、その中の一部として闘病体験が記録されている。これに対し、たいていの「闘病記」は紙幅制限のためもあってか、そのような生活全体の記録という体裁を取ることは稀であり、非日常的で劇的な「物語」の骨格を際だたせるような編集がされている。そしてそのことはスーザン・ソンタグが「隠喩としての病」で批判したように、病気を特別視し、過度に文学化(物語化、神話化)するような不健康な表象に繋がっていくのである。 続きを読む

医療解放構想

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梅雨明けはまだか。夏を待つ週末。でも梅雨が開ける前にやることがある。蝉どもが喧しく鳴き始める前に静かに音楽を聞くこと。ここ石神井公園の夏は蝉の声で充満し、スピーカーから出てくる音の高音部が聞き取りにくくなるほどだ。特にドラムスのハイハットの切れがマスクされ、リズムのタイトさが劣化する。蝉が来る前に音楽を聞かねばならないし、その後は蝉が去るまで、秋まで待つしかなくなる。というわけで音楽を聞き込む週末になった。

そして昨日は選挙。今回の参院選はとにかく盛り上がりにかける選挙だった。いつのまにかなんとなく始まり、そして大方の予想通りの結末を確認するだけで終わった。だが、民主党の政治家というのはどうしてこうもやり方が稚拙なのか。長年の野党体質が染み付いてしまったせいか、権力行使の局面でぎこちなくあたふたするだけのように見える。「柄に合わない」ことを無理にやっているように見える。その場逃れの弥縫策しかないのか。今必要なのはビジョンドリブンな政策を提起できる政治家だが・・・・・。

さて、昨日の朝日新聞beを眺めていたら、次のような記事が目に入った。タイトルは「医師の技術や知識を人々に解き放ちたい」というもの。 続きを読む

最初にコミュニティ(闘病ユニバース)ありき

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これまでこのブログで何回も取り上げてきたが、私たちのTOBYOプロジェクトは、旧来の「闘病記」の延長で闘病ユニバースを捉えているのではない。同様に、旧来の「患者会、NPO、支援団体」の延長で、今ネット上で進行している「闘病グラフ」の可能性を捉えているのでもない。私たちは、何か医療に関わる啓蒙的な理念やスローガンを掲げて、患者、消費者に呼びかけるようなことをやるつもりはまったくない。むしろ、この15年の間に、日本語ウェブにおいて闘病ユニバースを自律的に創造してきた闘病者たちの後を追い、その活動成果を私たちはフォローして行っているに過ぎない。

最初にコミュニティ(闘病ユニバース)ありき。

そしてそのコミュニティは、オープンでゆるいソーシャルグラフを形成しながら自発的に発展して行った。そこには従来の医療の専門家、啓蒙家、評論家、関連団体などの姿はない。正確に言えば、これら闘病者たちの自発的な活動は、旧来の専門家から発せられるワンウェイの情報伝達を乗り越え、専門家たちから得た知識情報を比較引用しつつ、自分たちの体験を共有することで集合知を作り上げ、さらに相互学習(Social Learning)さえ開始したのである。

TOBYOは、このような闘病ユニバースの持つ巨大な可能性を実際に引出すためのツールであるにすぎない。つまり闘病ユニバースが主でありTOBYOは従であるような、そんな関係であるから、TOBYOが「主」を置いて何か啓蒙的な呼びかけをすることはない。そしてこのような闘病ユニバースの成り立ちと、旧来の「闘病記」や「患者会」などは全く無関係である。 続きを読む

医療情報システムと消費者・患者参加

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米国政府は医療IT化刺激策“HITECH Act”で病院のEHR導入を促進しようとしているが、最近これに関連する広報活動について、PR代理店Ketchumと二年間で2,600万ドルの契約を結んだ。昨年来、”HITECH Act”やEHRの「意義ある利用」について、政府や医療IT業界で盛んに議論が行われてきたのだが、一方では、これら議論から消費者や患者がほとんど除外されていることが問題視されるようになってきている。各種調査を見ても、消費者や患者の医療IT導入問題に対する認知や関心はかなり低いことがあきらかにされている。今回の契約は、このような現状に対する広報活動の必要性が認識されたためだとされている。

先月ワシントンDCで開かれたHealth2.0コンファレンスにおいても、いくつかの患者支援団体から、政府の医療IT導入計画に消費者・患者が参加することの必要性が強く指摘されたようである。これら「消費者、患者の不在」という批判は、従来から医療機関で進められてきたEMRやEHRの導入にも向けられはじめている。これまでこれらシステム導入の計画段階で患者視点が盛り込まれることはなく、また出来上がった医療情報システムから患者向けサービスが提供されることもほとんどなかったわけだ。 続きを読む