入れ子構造のパターナリズム

matoryoshika

このブログを最初からざっと眺めてみると、当方の興味関心が「闘病記」から徐々に離れてきたことがお分かりいただけるだろう。というよりも、最初から「リアル「闘病記」本の代替物としてのウェブ闘病記」という見方に反撃するために、ウェブ上の闘病サイトの独自な立ち位置を強調していたわけだ。今日では、ブログをリアル日記帳の延長で捉える、あるいはその代替物と見るような人はいないだろう。同様に、ウェブ上に出現した闘病サイトを旧来の「闘病記」の延長で捉えてはならず、両者はほとんど別物であるとの認識を持つ必要があるだろう。

闘病サイトをじっと観察してみると、それが「闘病記」を書く場所ではなく、ネット上でさまざまな情報活動をするための基地という性格があることに気づくはずだ。闘病体験記録はその情報活動の一つの成果に過ぎず、それを闘病者の情報活動総体から分離することは本当はおかしなことだ。つまり、闘病者はいつのまにか自然発生的に、古く狭い「闘病記」というフレームに入りきらない情報活動とコミュニケーションをはじめているのであり、その現実を見ないことには何も始まらない。

そしてこのような闘病者の情報活動やコミュニケーション活動は、それらを「作品」として「鑑賞」するような観点とはまったく無縁であり、純粋に「自分にとって役立つ情報かどうか」によってのみ判断されている。つまり、闘病ユニバースに「作品と鑑賞」という尺度を持ち込むのは、まったくの時代錯誤なのだ。従って「作品」としての完成度ではなく、まったく別の尺度で闘病者の情報活動やコミュニケーション活動の成果は評価されるべきである。 続きを読む

Health2.0の新コンセプト「アンプラットフォーム」をめぐって

Unplatforms

昨年、Health2.0コミュニティから提起された考え方のうちで、もっとも重要なものは「データの流動性」(Data Liquidity)と「アンプラットフォーム」(Unplatforms)だったと思う。「データの流動性」についてはこのブログでも以前取り上げたが、単にEHRやEMRなど情報システムを導入しさえすれば医療の効率化が図れるのではなく、患者-医療機関、医療機関-医療機関などにおける情報フローとコミュニケーションを焦点化する方が、医療変革にとってより重要であるとの考え方を打ち出している。これは、従来の医療IT観を根本的に覆す大胆な問題提起だと思う。

もう一方の「アンプラットフォーム」だが、これについてはまとまったドキュメントがなく、その意味をはっきり捉えることができなかった。たまたま今月から始まったウェビナー「Health2.0ショー」で、マシュー・ホルトの”The Past and Future of Health 2.0″と題するプレゼンテーションを見ていたところ、このアンプラットフォームについての解説があった。それによれば「アンプラットフォーム」は下記の四つの場面を想定しているようだ。

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次世代医療についての考察

winter_2010

ウェブは患者の医療参加を促進する土台となるだろう。ブログやtwitterを使用して、患者は自らの医療体験や知恵を社会に向けて簡単に配信することができる。そして公開された事実や闘病ティップスに関するデータは、社会の各セクターで共有され、医療にフィードバックされ、最終的に医療を変えて行く・・・・。そのようなイメージを明確な社会的ビジョンとして具現化することが、今、必要になっていると思う。

だがこの日本においては、そのような「イメージ」を描くことがまず困難であるという現実がある。「インターネットによって医療を変える」という声は、すでに10年前から聞かれたのであるが、では具体的に何がどう変わるかまでは考察されてこなかったのである。せいぜい遠隔医療など通りいっぺんの技術構想で、従来医療の延長線上に「未来医療」が語られるのが関の山であり、本質的な医療変革を奈辺に求めるべきかについては誰も語ってこなかったのではないか。あるいは「情報の非対称性」というクリシェでお茶を濁し、そこから先へ議論が進むことはなかったのである。 続きを読む

闘病データと参加型医療

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先々週の風邪は治ったものと思っていたが、まだ本調子ではない。妙に暖かくなったかと思うと、今度はいきなり厳しい寒波襲来と、ここしばらく続く天候不順が原因か?

とは言え、春に向けTOBYOプロジェクトは行動して行く。収録闘病サイト数はようやく1万9000件に達した。ここのところ以前に比べ収録テンポを落としてきたが、これは従来よりも収録サイト選定に時間をかけているためだ。データ量、アクセシビリティ、トーンなど、本当に紹介したいサイトだけをかなり吟味している。今後、闘病DBから様々な形でデータを出力する予定だが、データソースの品質がますます重要になるからだ。

先週、「患者SNSと社会的イノベーション」というエントリをアップしたが、これを書き終えてTOBYOプロジェクトの位置づけがはっきりしたと思っている。もちろんTOBYOはSNSではないが、PatientsLikeMeとTOBYOプロジェクトは表面的にはまったく異なるサービスであるとは言え、実は根っこの部分で共通点があることに気づいたからだ。 続きを読む

患者SNSと社会的イノベーション

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米国の患者SNSをずっとウォッチングしてきているが、どこもかなり苦戦している。この原因をどう考えればよいのだろうか。唯一成功していると思われるPatientsLikeMeと比較すれば、なぜ一般の患者SNSが上手くいかないかが少しはっきりするような気がする。PatientsLikeMeの場合、治療方法がまだ存在しないような難病を中心にコミュニティづくりに取り組んでいる。一般の疾患ではなく、あえてかなり特殊な稀少難病を取り上げているところにこのSNSの独自性がある。ふつうなら、まず患者数の多い疾患に注目するところを、PatientsLikeMeはそれとはまったく逆の道を選んだわけだ。

このあたりを考えてみると、患者SNSと言うものが、汎用SNSとはかなり違うニーズを扱わなければならないということが、ぼんやりとだが理解できるはずだ。おそらくそれは、単なる「人的交流」ニーズにとどまるものではないのだろう。ではそれは何なのか。様々な仮説が成り立つだろうが、PatientsLeikeMeの場合、患者ニーズというものが畢竟「自分の病気を治すこと」であると理解し、そのためのデータ収集と共有のための一大システムを構築したわけだ。 続きを読む