2008/06

日経新聞にTOBYOが紹介されました。

2008/06/01 日曜日 - 14:21:41 by 三宅 啓

今朝(6月1日)、日本経済新聞の医療欄でTOBYOが紹介されました。

記事にはTOBYOのほか、ディペックス・ジャパンさんとライフパレットさんが紹介され、今日の患者体験共有サービスの概況が報じられています。この記事を読みながら、実は「事実と編集」という問題を考えさせられました。TOBYOの立ち位置についての示唆を得たと思えます。このテーマでエントリも書きかけたのですが、この論考はまた別の機会に譲りたいと考えています。つまり、当方にとっては「テキスト生産性の高い記事」であったと言えます。その意味で日経さんには感謝いたします。

三宅 啓  INITIATIVE INC.

選択の自由

2008/06/02 月曜日 - 20:00:52 by 三宅 啓

先週は雑事であわただしく過ごし、ブログの方もおろそかになってしまった。なんだかんだと言っているうちに6月に入り、しかも今日は梅雨入りの可能性まで天気予報で言われている。夏はもうすぐだ。

夏へ向けてわれわれが取り組まなければならないのは、まず、TOBYOの全文検索を全病名へ拡大することである。これができた段階で、名実ともにTOBYOはベータ版となる。春先、アルファ版の段階では、会う人から異口同音に「TOBYOは、結局、闘病記のリンク集なのか?」と言われていた。あの段階では、たとえ闘病記の収録数は大きいとしても、たしかに「リンク集」と言われてもしかたない状態であった。それに闘病記のリンク集なら従来からいくつか存在したし、今後も出てくるだろうが、結局、ある地点まで行ってしまえば「リンク集のジレンマ」とでも言うべき問題に直面するとも思っていた。 »もっと読む・・・ »

アイデンティティの分散と集中、そして新しいサービス

2008/06/03 火曜日 - 20:16:39 by 三宅 啓

最近のウェブ闘病記は当然ブログが中心になっているのだが、それらブログ闘病サイトを注意深く見ていると、一人の闘病者が複数のブログを所有しているケースが多いことに気づく。これには大きく、「A→B→C」とブログホスティングサービスを乗り換えていきながら過去ブログを残存させるケースと、同時に複数のブログを運営するケースとがあるようだ。ホスティングサービスを変えるのは、そのブログに使いたい機能がサポートされていなかったり、デザイン・テンプレートが貧弱である場合などが理由であるが、これまで書きためたコンテンツを持って「引っ越し」するよりは、これまでのコンテンツ資産を置いたまま、「身一つ」で新しいブログへ移るケースが圧倒的に多い。 »もっと読む・・・ »

患者SNSと燃え尽き症候群

2008/06/04 水曜日 - 19:08:17 by 三宅 啓

「米国における唯一正真正銘の患者SNS」とか「最も成功した患者コミュニティ」などと称賛されるPatientLikeMeだが、調査報告書「オンライン患者コミュニティPatientLikeMeの内部における個人医療情報の共同利用:患者が他の患者のデータにアクセスすると何が起きるか?」が「Journal of Medical Internet Research」に発表され、大きな話題となっている。

PatientLikeMeが他の患者SNSと決定的に違うのは、他の患者SNSがどちらかといえばメンバー間の「穏やかな交流」を提供するのに対し、PatientLikeMeだけがメンバー間の徹底的な医療情報共有にこだわっている点であるだろう。また、PatientLikeMeはALSなどの難病をターゲットにしており、「治療方法が確立していない病気と闘う」ための強い目的意識を参加メンバーに求めている点も、他の患者SNSとは際立った違いといえよう。 »もっと読む・・・ »

闘病体験と固有名詞

2008/06/05 木曜日 - 21:08:27 by 三宅 啓

先週、「固有名詞によって事実を可視化する」というエントリを書いたが、たまたまというべきか、その数日後、TOBYOも紹介された日経新聞記事の末尾は次のように結ばれていた。

「ただ、中には科学的根拠の乏しい健康食品の購入を呼び掛けたり、宗教の勧誘をしたりするものもある。病院や医師への評価が断定的に書かれ、トラブルになることも。ライフパレットは「病院名を記載しない」などのルールを設けて定期的にチェックし、ルール違反があれば執筆者に注意を促すという。」(日経新聞、6月1日)

ウェブを論評する場合に使用する常套句であり、いわば「お決まりの警告」と言えるだろう。常套句に頼るという無意識の発想も、そろそろ見直すべき時代になってきているのではないか。しかし、それはそれとして、「闘病記に病院名を記載しない」という「ルール」があることを、この記事で初めて知った。 »もっと読む・・・ »

GoogleHealthの全機能を試してみる

2008/06/06 金曜日 - 20:07:08 by 三宅 啓


先日公開されたGoogle Health。その全機能を実際に試してみようと、「Google Health試乗会」がウェブスライドで公開された。スライドを作ったのはHealth2.0ムーブメントの仕掛け人Matthew Holt氏。スライドでは、Google Health上の文字が少し読みにくいかもしれないが、実際にGoogle Healthを試用する際の恰好のガイドとなるだろう。

世界へ

2008/06/09 月曜日 - 12:33:54 by 三宅 啓

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春先に出た海部美知さんの「パラダイス鎖国—忘れられた大国・日本」は多方面で話題になっているが、当方も一読し様々に考えるヒントをいただいた。しかし先週、ある席でTOBYOの今後の計画について、「当面、TOBYOのバーティカル検索対象を、全病名、闘病サイト5000、インデクシング100万ページへ持っていくことに注力したい」と説明したところ、「ではその後、世界へ出て行かれるのですね」とのお言葉を頂戴した。それは正直のところ、当方がまったく予期せぬ質問であった。では、なぜ予期していなかったのかと言えば、まさに当方自身が「パラダイス鎖国」の住人でありその発想に囚われていた、というほかない。 »もっと読む・・・ »

闘病記と時間

2008/06/10 火曜日 - 12:58:37 by 三宅 啓

TOBYOベータ版公開時に作ったプレゼンスライドだが、あそこに、闘病者がネット上で自然発生的に形作ってきた「闘病ネットワーク圏」を「宇宙」になぞらえたページがある。実はそれには二つの意味があった。

ひとつは「闘病ネットワーク圏」の空間的な把握の仕方であり、広大なネット上に分散する闘病サイトが、ところどころで同病コミュニティの「星座」を作ったりしながら、その全体が、あたかも見上げた星空に浮かび上がる星図のように見えることを意味している。二つ目に、これら広大な空間に分散する闘病サイトが、実は別々の時間における体験を記録しており、同一空間にありながらそれぞれ固有の時間に属しているという時間的把握の問題がある。 »もっと読む・・・ »

「闘病ネットワーク圏」の先進性

2008/06/11 水曜日 - 12:54:34 by 三宅 啓

CarePages

9日(月曜)のワシントンポストに「Patient Web sites used for news, support in crisis」という記事が掲載された。ここで紹介されているのはCareBridgeCarePagesで、当方ブログの以前のエントリで紹介済み(ここここ)だが、両者とも患者簡易サイトのホスティングサービスとして古参と言ってもよいだろう。CarePagesのほうは、スティーブ・ケース氏率いるRevolutionHealthに買収されたようだ。

このワシントンポストの記事を一読して思ったのは、なぜ今頃、CareBridgeやCarePagesを取り上げるのだろうかという素朴な疑問である。TOBYOで闘病記にフォーカスしている当方の目から見ると、CareBridgeもCarePageも、どちらも闘病サイトのホスティングサービスを提供しているわけだ。たしかにブログが登場する以前には、両者とも「簡易ホームページ」を提供してくれるサービスとして、それなりの利用価値はあっただろう。だがブログ登場以降、これらのサービスは明らかに陳腐化しているはずなのだが、それが、いまだにワシントンポストの「ニュース」になっていること自体、不思議に思える。 »もっと読む・・・ »

継続と切断(2.0をめぐって)

2008/06/12 木曜日 - 13:49:30 by 三宅 啓

Web2.0から始まってHealth2.0にいたるまで、世の中には様々な「2.0」が現われて、ある意味で食傷気味である。振り返ってみると、web2.0が広く注目を集め出した2005年の時点で、もう既に「2.0」が単なる一時的なファッドやバズワーズであるとの批判が、ブロゴスフィアにはあふれていた。Health2.0についても昨年初頭、この呼称をめぐる論争が、ドミトリー・クルーグリャク氏とスコット・シュリーブ氏らの間で起きていたことも思い出される。

たしかにこの「2.0」という言葉には、単なる流行現象の側面があることは否定できないが、当方はこの言葉にもう少し深い意味を読み取っている。この言葉が、時代の「切断」を最も適切に表現し得ていると考えるからだ。われわれの弛緩した日常感覚は、往々にして世の中を「継続」として無条件に捉えている。実際にはすでに終了していることが明白であるにもかかわらず、この「継続」感によってその「終了」の事実と意味が隠されてしまうことがある。 »もっと読む・・・ »