今月から始まる新しい活動


もう二月である。早い。うかうかしてしていると、どんどん時間がたってしまうが、今月から始まる当方の新しい活動についてお知らせしたい。まず、上の写真をご覧いただいておわかりのように、今度、Yahoo Japanさんからお声をかけてもらい、「YahooNews個人」のオーサーとして、今月から記事を投稿することになった。

個人ページ「ウェブ医療レビュー」も作っていただいたが、自分の顔写真を人様にさらすのは恥ずかしいものだ。ページが出来上がってみると「好々爺」然として、今さらながら歳を自覚した次第。「温厚な爺さん」というキャラクターがにじみ出ている。とにかく当ブログ同様、今後はこっちの方ものぞきに来ていただきたい。よろしくお願いします。

「ウェブ医療レビュー」には世界の新しいウェブ医療サービスの動向を取り上げ、こっちの「TOBYO開発ブログ」はTOBYOプロジェクトや医療以外のテーマを中心に、というような分担を考えているがさてどうなるか。とりあえず「ウェブ医療レビュー」はHealth2.0の総括からスタートした。これは、ここ数年の私の仕事のベースとなったテーマだったわけだが、そろそろこの辺で「Health2.0とは何であったか?」と総括してしまい、先へ進んでいきたい。

「先へ進む」ということでは、dimensionsのカスタム出力で、テキストマイニングを実行する環境がようやく整ってきている。これまでいろいろ当方なりに思うところもあり、あえてマイニング技術を封印してきたのだが、ソーシャル・リスニングをもっと活用するためには不可欠であると判断した。今月にはその成果をご覧いただけるのではないかと思う。

またTOBYO_APIまわりでも、各方面での運用をお願いしており、今月から稼働していただく予定の案件もある。

「すべての医療情報から患者の声が聞こえるように」を実現すべく、全力を尽くす2月である。

三宅 啓  INITIATIVE INC.

メディアを持った闘病者

TOBYOの収録サイト数は現在4万件に近づいている。最初、TOBYOを立ち上げる時点で、私たちはネット上に公開されている闘病ドキュメント(いわゆる闘病記)の数をおよそ3万件と推定した。すでにTOBYOはその数を越えているのだが、今の時点で少なくとも5万サイトがネット上に闘病ドキュメントを公開しているものと思われる。「ネット上のすべての闘病ドキュメントを可視化し検索可能にする」というのがTOBYOプロジェクトのミッションであるが、少しづつその達成が見えてきている。

TOBYOプロジェクトは、闘病ドキュメントを公開している個人サイトやブログからなるネット空間を「闘病ユニバース」と名付け、これを自生的に進化している一種の「自律、分散、協調」型ネットワーク、あるいは開放型仮想コミュニティとみなし、自らをその情報インフラとして位置づけてきたのである。

以前、コミュニティ・リサーチを取り上げた際に、人為的にコミュニティを起動することの難しさとそこに付きまとうバイアスの存在を指摘したが、闘病ユニバースのような自然発生的なコミュニティはこれら問題とは無縁である。まず、コミュニティ自体が自然発生的に成立し、すでに動いている。そして闘病ユニバースを構成する各人は、あくまでみずからの自発性のみに依拠し、各人なりの自由な方法とスタイルでこの仮想コミュニティに「参加」しているからだ。闘病者は、ただ好きなホスティング・サービスやオープンソースCMSを利用して、おもいおもいにブログを書き始めるだけでこの闘病ユニバースに「参加」することができる。否、特に「参加」という意識さえ持つ必要もないのだ。

このブログでは、繰り返しこの闘病ユニバースについて言及してきたのだが、やがて時間がたち、ネットのありようは大きく変わってきている。とりわけTwitterとFacebookの爆発的な普及は、従来の開放的なネットにおける自由なユーザーの活動を、特定のクローズド・サービスへ囲い込むような状況を作り出している。TwitterにせよFacebookにせよ、本来それらは特定のサービス企業が作り出したプライベートな空間であるが、「ソーシャルメディア」との呼称が示すように、それらはあたかもパブリックな空間であるかのように立ち現われている。そして、これら「ソーシャルメディア」の台頭にともなって、パブリックスフィア(公共圏)としてのネットの存在価値はますます忘却されるかのごとくである。

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謹賀新年

替天行道2013

新年おめでとういございます。
本年もよろしくおねがいします。

今年の年賀状には「替天行道」と記しました。昨年暮れkindle PaperWhiteが届き、とりあえず読み始めたのが北方謙三「水滸伝」全19巻でした。以前からこのシリーズには注目していましたが、なにせ19巻というボリューム、なかなか手が出ませんでした。ところがeブックリーダーを入手してみてあらためてそのメリットを考えてみると、まずリアル・ブックにはないそのスペースファクターということになります。とにかく「一台に1000冊の本を収納できる!」のですからこれはありがたいわけで、特に「水滸伝」のような長尺物を気軽に持ち運べるようになり、さっそく試しに読み始めたというわけです。

ところがこの「水滸伝」作中に頻繁に登場するのが「替天行道」。その意味をめぐって複数の解釈があるようですが、北方「水滸伝」では梁山泊叛徒たちの革命思想スローガンのように用いられています。そのあたりを考えているうちに、10年ほど前、私たちに近い場所で扇情的に呼号されていた「ITが医療を変える!eヘルス革命!」などという文言を思い出しました。10年たってみると、これらの文言は単に空虚なばかりか、どことなく寒々しい響きさえ感じさせます。

この「ITが医療を変える!eヘルス革命!」というフレーズで、たとえば「IT」を「SNS」とか「ソーシャルメディア」に、「eヘルス」を「Health2.0」と言い換えてみると、一応、今でも通用するような体裁の文言にはなります。ですが、今からさらに10年後を想起してみると、たとえ「SNSが医療を変える!Health2.0革命!」などと言ったところで、やはり空しく寒々しいものになっているであろうことは容易に推察できるでしょう。

特に医療をめぐっては、これまでさまざまな人々が「医療を変える」ということを異口同音に叫んでいたと思います。しかしそれらは荒野をさまよう木霊のように、何の実体も伴うことなく、いつしか現実世界の強風に吹き飛ばされて消失していったのです。いったいこれらをどう解釈すればよいのでしょうか。

昨年あたりから、過熱気味の「ソーシャルメディア」ブームに対する違和感の表白が、すでにウェブのあちこちで目につくようになってきました。そろそろ「ソーシャルメディアの次に来るもの」に想いを馳せる時期かもしれませんが、それにしても流行現象の栄枯盛衰に一喜一憂するのも空しい所作ではありませんか。もっと持続力のある「何か」を見つけ出す必要があるのかもしれません。おそらく、もっと長持ちする「ビジョン」をこそ創案すべきなのでしょう。

「医療を変える」とか「××革命」とかいうclichéから抜け出し、なおかつそれらの発想と決別し、自分の言葉で医療ビジョンを語らねば・・・・。そんなことを考えさせてくれた「替天行道」でした。

三宅 啓  INITIATIVE INC.

「コミュニティ・リサーチ」の考察

「現代社会の市民は、議論を始めるにあたって、議論の場そのものの共有を信じることができない。意見は異なっても、とりあえず同じ共同体の一員としてひとつの議論に参加している、という出発点の意識すら共有できない。アーレントとハーバーマスが理想とした公共圏はそもそも起動しない。」(「一般意思2.0」、東浩紀、P97)

「しかし、ネットの政治的な利用の本当の可能性は、無数の市民がそこで活発な議論をかわし、合意形成に至るといったハーバーマス的な理想にはなく、(いくども述べているようにどうせそんなものは成立するわけがないのだから)、むしろ、議論の過程で彼らがそこにほうりこんだ無数の文章について、発話者の意図から離れ集合的な分析を可能とするメタ内容的、記憶保持の性格にこそあると言うべきではないだろか。発話者は一般に、発話の内容については意識的に制御することができる。しかし、発話のメタ内容的な特徴、たとえば語彙の癖や文体のリズムや書く速度などは容易には制御できない。そしてネットは、まさにそのようなメタ内容的な情報の記録に適しているのだ。」(同上、P 127)

少し前に、あるマーケティング・リサーチ関係者から「TOBYOにはコミュニティはあるのか?」という質問を投げかけられたことがあった。このブログをかなり前からお読みになっている読者なら、おそらくこの「問い」に苦笑されるかもしれない。まさにこの「問い」こそは、TOBYO立ち上げ初期から幾度となく異口同音に私たちに繰り返し向けられてきた「問い」であり、そのことはしばしばこのブログでも触れてきている。実はもういい加減、辟易しているのだが。

そのうちにだんだんわかってきたことだが、どうやら世の中には「コミュニティ信仰」というものが広く根強く存在するらしい。何かコミュニティをやっていることが、論証抜きで非常に価値のある高度な試行であるかのような、そんな「信仰」があるような気がする。もっとも「信仰」が論証されることはないのだが・・・・。また、コミュニティがあたかも諸課題の万能特効薬ででもあるかのようなそんな「信仰」もあるような気がする。

これら「コミュニティ信仰」に通底するものは「コミュニティ成立」への疑念の欠如であり、すべてのコミュニティが例外なく「成立する」と何の根拠もなく楽天的に信じられている。だがコミュニティは不成立に終わることもあり、むしろ現実には不成立のケースのほうが多いのである。 続きを読む

「患者エンゲージメント」異聞

今年の春に「患者エンゲージメント」と題するエントリを書いた。この「患者エンゲージメント」という言葉が持っている今日的意味を少し整理しておこうという意図があってのことだった。だが、何か大事なことを書き忘れたのではないかと、釈然としない気持ちが書き終えたあとに残ったことを覚えている。

その後この「エンゲージメント」のことはすっかり忘れていたが、最近、米国の製薬マーケティング関連のブログ筋でメルクの消費者向けサイト「MerckEngage」 が話題になっており、あわせて「エンゲージメント」について論じられていることに気づいた。この「MerckEngage」では今月から会員ユーザーに対しメールで健康情報を提供し始めたのだが、どうもメール送付を希望しないユーザーにまでメールが届けられてしまい、しかも「メール受信拒否」のオプトアウト手順が複雑すぎると批判の声があがったのである。

昨年、従来サイトをリニューアルして新規オープンした時、「MerckEngage」に寄せられた反応は芳しいものではなかった。“Merck engage is not engagement at all”というブログエントリまであらわれたのである。サイトタイトルに「Engage」と明記されているのにサイト自体はまるでちがうと、その羊頭狗肉ぶりが批判されたわけだ。さらにこのブロガーは次のように主張している。

To me engagement is not a website with tools and information for patients.  Engagement = conversation.

(私にとってエンゲージメントとは、患者向けツールや情報があるウェブサイトのことではない。「エンゲージメント=会話」なのだ。)

おそらくメルクの担当者はこのエントリを見たのであろう。そして「エンゲージ」という文言を実体化すべく、まさに消費者との「会話」を生み出そうとして、今月からメールをユーザーに送付し始めたのだろう。ところがそのメールが一方的に送られたので、逆に不評を買ってしまったのである。 続きを読む