Health2.0の7年。

スコット・シュリーブが作成した「医療の再定義」のコンセプトチャート。

今になってHealth2.0のことを語ろうとすると、なんだか「死んだ子の歳を数える」ようなニュアンスがつきまとい、いささか躊躇さえしてしまう。それだけ時がたったということだろう。そしてその過ぎ去った時を振り返るのは、ちょっとしたセンチメンタル・ジャーニーになってしまう。

Health2.0は終わってしまった。まだ米国では毎年、「Health2.0」カンファレンスが開催されてはいるが、それはビジネスショウの単なるタイトルに過ぎない。それ以上のインパクトも輝きも持ち得ないのが現状である。

このブログでは、2007年の春頃からHealth2.0の動向をウォッチングしてきた。米国をはじめ世界で大きな注目を浴びたHealth2.0だが、どんなムーブメントにも例外なく拡大期もあれば衰退期もある。そろそろ「総括」をする時期だと思う。 「総括」といってもポイントを絞って、Health2.0が一体何を提起し、何を変えようとしたのか、そして結局それは実現したのか、について考えたい。

まず「Health2.0」の理論的な枠組みであるが、最初にそれを考案したのは、Health2.0最大のビジョナリーと言っても良いスコット・シュリーブ医師であった。彼のビジョンは、おおまかに言ってしまうと、エリック・レイモンドの「伽藍とバザール」、そしてポーター&テイスバーグの「医療の再定義」(邦題「医療戦略の本質」日経BP社)を結びつけたものだった。つまりオープンソース運動とマーケティングの2つの視座から、従来の医療を批判的に検討し、その上でこれまでとは違う「ケア・サイクル」に基づく新しい医療を創造しようとする、極めて野心的なものであった。そして当然、そのゴールは医療制度改革であった。それに対し、当時勃興していた「Web2.0」ムーブメントに連動するような形で、ITによって医療を変えていくことに限定した「Health2.0」を提唱したのが、マシュー・ホルト氏だった。スコット・シュリーブに比べると、わかりやすさも手伝って、徐々にこちらが中心的なHealth2.0定義になってきたわけだ。だが、このことが結局、Health2.0のその後を危ういものにしてしまったと、筆者は考えている。 たとえばマシュー・ホルトが考案した

User Generated Healthcare

というスローガンだが、これも当時Web2.0で言われていた「UGC」をそのまんま焼き直したものに過ぎず、「新しい医療創造」というテーマの大きさから見ると、なんだか座りが良くない。まして「User」とは患者のみならず、医療者のことまで含むとの説明を聞いてしまうと、「なんでもあり」のお粗末感を拭えなかった。

マシュー・ホルト氏はビジョナリーとして今ひとつ生彩を欠いており、それはその後、2009年頃に突然言い出された「Unplatform」論において、ひときわその稚拙さを露呈することになる。いまだにこの「Unplatform」というビジョンが一体何だったのか、よくわからないのだが、何かデバイスフリーなサービスのことを言おうとしていたようにも思える。

スコット・シュリーブは、2007年秋に開催された第一回Health2.0カンファレンスのトリを飾る総括スピーチに立ち、持ち前の「医療における伽藍とバザール」論を展開し、聴衆の大喝采を浴びたものの、その後、しばらくしてシーンから忽然と姿を消してしまった。つまりその後、Health2.0はムーブメントの進路を司る有力なビジョナリーを失ってしまう事態に至ったのである。たしかに毎年、年次カンファレンス冒頭で、マシュー・ホルトとインドゥー・スバイヤによる展望が示されてはいるのだが、インパクトのある斬新なビジョンを生み出すには力不足の感は否めない。

このあたりに、当方はHealth2.0失速の原因があったと考えている。陳腐化のスピードは加速したのである。Web2.0の原理をそのまま医療に持ってきただけでは、新しい医療の方向性を示すことにはならない。その意味からすれば、スコット・シュリーブの制度改革まで含む「2.0」論のほうが、はるかに本質的で変革力を有するビジョンだったと、当方は今でも考えている。

だがそれでも米国においては、特に2007年から2008年にかけて、多数のHealth2.0スタートアップが出現した。一説によると、この時期、約2000社が起業したとも言われている。たしかにこの頃、毎日のように新しいサービスが登場し、ワクワクしながらこのブログで紹介していたのを思い出す。そう考えると、ビジョンの巧拙は別にして、とにかく多数のスタートアップを生み出したということでは、Health2.0ムーブメントは評価に値するといえる。

しかしやがて、Health2.0カンファレンスは単なるビジネスショウになっていった。社会へ向けて新しい医療像を発信するようなパワーは、もうないような気がする。つまり社会的ムーブメントとしてのHealth2.0は終わってしまったのである。そして、ではHealth2.0は医療をどう変えたのか?と問えば、誰しも返答に窮するのではないだろうか。マシュー・ホルトのHealth2.0論では、具体的な制度改革などの目標がないので、ムーブメントとしての達成水準を論じることはむつかしい。医療にITを導入する機運をつくった、などとぼんやりした言い方しかできない。だが、Health2.0があろうとなかろうと、ITは医療に浸透していっただろう。

以上、手短にHealth2.0の衰退道程を眺めてみたわけだが、日本でもHealth2.0はあった。日本の場合、米国に比べるともっと単純な問題があったと思う。それは「Health2.0とはなにか?」という根本の議論の不在という問題であった。結局、「医療×IT」みたいな、マシュー・ホルトをもっと単純化したHealth2.0観しか、日本では共有されていなかったと思う。そして、とにかくプレイヤーの数が少なすぎ、ムーブメントというほどの力を持ち得なかった。

だが主催者の努力には敬意を払いたいと思うし、今更、批判をやる意味もないので、日本のHealth2.0についてこれ以上語るべきことはない。

ということで、とにかくHealth2.0は終わってしまった。まだ、「Health2.0」と銘打ったイベントは開催されるかもしれないが、とりあえず自分の中では終わったという他ない。このエントリは、ある意味では、自分の中で何が終わったかをはっきりさせるために書いたものだが、2007年当時、まさか将来、自分がこんな一文を書く日が来ようとは、夢にも思っていなかった。2006年から書き始めたこのブログは、TOBYOプロジェクトの進行を発信することが目的だったが、同時に、Health2.0が今ひとつの大きなテーマであった。

だが、この「終焉」を悲嘆する必要はないのかもしれない。すべてのムーブメントには終わりがある。そして、次の新しいムーブメントが必ず起ち上がってくるのだから。「医療を変える」というテーマに終わりはなく、今後、多数の後続するムーブメントが必要になるだろう。否、「ムーブメント」などを前提にする必要もないのかもしれない。個人やグループが医療変革のために、何か新しいサービスを作り出し、市場に送り出すことをやればよいのであり、失敗や成功に関係なく、患者ニーズを洞察し、患者の問題を解決するようなサービスを創意工夫によってローンチすればよい。何の資格も、権威も必要ない。ここ10年くらいの、特にウェブ進化を中心とする世の中の変化は、そのような機運を醸成しており、道は誰にでも開かれているのだ。

最近、別のところで議論をしていたら「日本は失敗に対する許容度が低いので」という言葉を耳にして、なにか「底なしの虚脱感」みたいなものに襲われてしまった。「失敗に対する許容度」なるものが、低いか高いかは知らぬが、もしもこれを理由に、サービス開発や起業やムーブメントの立ち上げを忌避するのなら、最初から「Health2.0」などと言うのはやめたほうが良い。また、これもある場所で、「無責任な大人が、起業をけしかけている」みたいな発言も目にしたが、論外である。ベンチャーをやるやらないは自由だが、ポーズだけのベンチャーはやめてもらいたい。

そして最後に、Health2.0が終わろうと続こうと、私たちはTOBYOプロジェクトを通じて、「患者の言葉」を社会に届けていく仕事を進めるだけだ。そのことによって、医療は変わっていくだろうし、そして社会に役立つこともできると信じている。

三宅 啓  INITIATIVE INC.


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