The Missing Voice of Patients

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昨日のセミナーでも話したが、副作用症状報告について、医師が「患者の声」を過小評価しがちであるとの調査結果がNEJMで二年前に発表されている。“The Missing Voice of Patients in Drug-Safety Reporting”  この調査はニューヨークのスローン・ケタリング記念がんセンターで、ほぼ二年間にわたるがん患者467人の4034回の診察を対象におこなわれた。それぞれの診察で確認された副作用症状について、患者が直接作成した報告書と医師・看護師側が「患者の声」に基づいて作成した報告書の傾向を比較しようというものだ。(Ethan Basch, M.D.N Engl J Med 2010; 362:865-869March 11, 2010)

上のグラフはその調査結果の一部で、副作用症状のうち「疲労」「食欲減退」の累積罹患率を示している。赤線は患者報告、青線は医師・看護師報告に基づいているが、いずれも患者報告の方が医師・看護師報告よりも累積罹患率はかなり高く、しかもその立ち上がり方は急峻であることがわかる。「食欲減退」では医師・看護師側報告ではほとんど罹患が認められないのに対し、患者報告では最終的に40%近い患者が「食欲減退」症状を報告しており、「患者の声」は医師・看護師からほぼ無視されたようなかたちになっている。しかし、患者自身が訴える「食欲減退」感を否定するというのは、一体どう解釈すればよいのであろうか?

かつてある医療セミナーで、講師が「患者のいうことは信用できない」と発言するのを聞いたことがあった。後日、あらためてこの発言を思い出し「とんでもない発言だ」と腹が立ったが、その時、その場で反論せずに黙っていた自分の卑小さを責めるほかなく、たいへん悔しい思いをした。また、闘病ブログを読んでいると、よく遭遇する次のようなシーンがある。患者が医師に対して患部の痛みを訴えたが、医師は「そんなことは、あるはずがない」と患者の痛みを否定し、患者はあたかも自分が嘘をついているかのように医師から非難されたと感じ、患部の痛みに何の処置も施されずに診察室を去る。そんなシーンである。まさかと思われる向きもあろうが、実際、このようなシーンを綴った闘病ブログは少なくないのだ。

患者は「当事者」として自分の身体状態を訴えており、医師は「第三者」として患者の言葉を分析し解釈している。患者と医師の診察時点での構図はそのようなものだろう。ここにおける「事実」はあくまで「患者の身体状態」なのだが、それを伝達する「言葉」に対し、もしも医師の側に意図的で非中立的な「分析・解釈」が介在すると、「事実」は非事実化する。たとえば「患者のいうことは信用できない」との予断がバイアスとなって、患者の症状は非事実化されるのだ。

もちろん、すべての医療者がそのような非中立的な態度をもっているわけではないが、上のNEJMの調査結果は、患者と医療者の間にある見えざる懸隔、あるいは渡るに渡れぬ深い河の存在を示しているように思える。「患者のいうことは信用できない」に対抗するかのように「患者は医師にホンネを言わない」という事態が生起しており、このまま不信のスパイラルが進行していけば、やがて医療は荒廃してしまうだろう

ウェブの時代にあって、従来の伽藍構造で「専門家-素人」という図式を押し付けることはもはや困難になっている。かつての「声なき患者」は声を持ち、すでにウェブには大量の「患者の声」が満ちている。もはやこの事実を直視することから始めるしかないのだ。「中間項」抜きで患者の声をダイレクトに聞いて、医療に反映させる仕組みが求められているのだ。

三宅 啓  INITIATIVE INC.


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