医療評価と患者の感情表出ワード

ronion

前回エントリ「患者エンゲージメント」で「患者の感情の指標化」ということに触れたが、最近、このことをあれこれ考える機会が多い。特に私たちが注目してきた患者体験ドキュメントの基本性格というものは、「患者感情の表出」を抜きに考えることはできない。

私たちはこれまで、患者体験ドキュメントを患者が体験した「事実」を中心に見てきた。従来、どうしても「闘病記」という言葉で表されるドキュメントには、ある種の過剰な思い入れがつきまとい、それは時として「センチメンタルな物語」という形式に矮小化されてしまい、患者が体験した「事実」の客観的な意味を見失わせてしまいがちであった。

そうであるからこのブログでは、事実の連続体として患者体験ドキュメントを捉え、とりわけ固有名詞に注目し、なるだけセンチメントから距離をおくことを再三表明してきたわけだ。やがて、その成果はdimensionsというツールに実を結ぶ事になる。dimensionsは固有名詞をキイとして事実を抽出し集計するデータ・ツールである。

そしてdimensionsをベースに新たなB2Cサービス「CHART」開発に取り組んでみると、今度は、事実を特定する固有名詞群が患者の感情表出ワードによって編み込まれているということに気づかざるを得なかった。先に「患者ドキュメントによる医療評価」というエントリを書いたが、そこで評価ワードとして患者の感情を表出する複数の言葉をあげてある。この「感情表出ワード」は、まだこれから吟味検討しなければならない仮説段階だが、「満足-経験-エンゲージメント」と変遷してきた患者視点による医療評価において、今後は患者エンゲージメントのインデックスとなるのではないかとにらんでいる。

たとえば「患者マインドセット」というものを想定してみると、それは合理的に割り切れる「判断」の集合としてではなく、複数の起伏ある感情表出ワードの出現分布マップのようなものとして理解されるのではないか。

ところでこの社会では「感情というものは抑制すべきものだ」という考えが一般的であるようだが、はたして本当にそうだろうか。そうではなく、むしろ人間は喜怒哀楽の表出によって生きているのではないだろうか。だからこれら感情を全面的に抑制しコントロールしてしまえば、もはや人間は「生きている」とはいえないのかもしれない。

生き生きとした喜怒哀楽を表出する言葉は、人間が直面した現実と向き合いそれを評価する尺度になっている。

三宅 啓  INITIATIVE INC.


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