夏、EHR、そしてTOBYO

ShakujiiKoen_2010summer

先週、梅雨明け。三連休。墓参、読書、音楽。いきなりの酷暑。蝉、鳴き始める。いよいよ本格的な夏。

先週、7月13日、米国政府はEHR導入促進プログラム”HITEC Act”の「意義ある利用」ルールのファイナル・バージョンを公開した。同時にONC(The Office of the National Coordinator for Health Information Technology)のデビッド・ブルーメンソール局長は、同日付“The New England Journal of Medicine”にこのファイナル・バージョン要約と解説を発表している。昨年来、米国医療IT業界を震撼させたこの「意義ある利用」問題にも、やっと一応の決着がつけられたことになる。

一方、日本のこれまでの医療情報化議論というもの振り返ると、総じて「極めて低調であった」としか言いようがない。例によって何度も役所主導の「検討会」が編成されたはずだが、何一つ社会的コンセンサス形成を果たした形跡はない。おそらくアジェンダ設定に問題があったのだろう。

やはり先週、TOBYOの収録サイト数は2万2千サイトに達した。最近の闘病ユニバースだが、ウェブ上で闘病体験を公開しようというユーザーの意欲は今年に入ってますます高まっているような気がする。当初、その規模をおよそ三万サイトと推定した闘病ユニバースだが、その後、規模は膨張していると見て間違いないだろう。ブログで自分の闘病体験を社会的に公開することは広く定着してきている。またツイッターで体験を公開する闘病者も増えているが、これらをTOBYOプロジェクトでどう扱うかは今後の課題である。

医療者側のEHRと消費者側の闘病体験ドキュメント。あらためてこの両者の関係を考えてみると、かたや精緻に体系化された情報システムとしてのEHR、かたや自発的で多様に生成される闘病ドキュメントと、まるで正反対の性格を持っているのだが、なんとなく両者は相互補完的な関係にあることが予感される。これまで私たちは闘病体験ドキュメントについて、単に「闘病記の効用」程度でしかその有用性を語れていなかった。

しかし、そろそろ闘病ドキュメント単独でその価値を論ずることから離れ、EMRやEHRなど医療情報システムと合わせ、全体としての医療情報環境を構成する重要な一翼として闘病ドキュメントを見るような視点を持っても良いような気がする。これまで「闘病記」というパッケージにその役割を閉ざそうとする議論に、むやみに当方が反対してきたのも、今にして思えば「闘病記」などと場所を限定するような発想に直感的な反発があったからだと思える。

医学的な観点から記述されたEMRやEHR。そして患者の観点から記述された体験ドキュメント。この両方の観点を合わせることによって、医療事実というものが過不足なく記録されるのではないだろうか。TOBYOプロエジェクトそしてDFCは、このように医療情報全体における患者体験の布置を明確化していくような、そんな方向性を持つ仕事なのだと、あらためて考えている。

三宅 啓  INITIATIVE INC.


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