幻の10年

 
(Video: The Yardbirds – Happenings Ten Years Time Ago (1967))

また総理大臣がかわる。振り返ってみると安倍、福田、麻生、そして鳩山と、ここ数年、日本の総理大臣は毎年のように一年で交代している。もう慣れっこになってしまい、別段驚くこともないのだが、特に今年に入っての鳩山内閣の迷走ぶりは、あまりにもお粗末すぎて、まともに直視するのがはばかられるほどだった。

ここ10年ばかりの日本の政治を考えると、前半の5年間に振られた「改革」の旗が、後半の5年間にまさに襤褸と化し、ついにズタボロに消滅してしまった、というような印象がある。結果として、バブル以降の「日本の失われた10年」という言葉は「失われた20年」へと延長された。日本の国際的プレゼンスは、この間、大きく後退しシュリンクし続けている。

実は先日、かつて勤めていた会社の後輩の結婚披露パーティーに出席し、ほぼ10年ぶりに後輩たちと再開したのだが、聞いてみればほとんどがまだ広告業界にとどまっているとのことだった。この10年間にマスコミ広告市場はピークから2割減少し、今後、ますます縮小していくことは間違いない。だが、後輩たちは「広告業界はもう斜陽産業です」と自嘲気味に語りながら、それでもそこから「外」へ出ようとしないのは一体なぜなのか。

すでに10年前に、広告業界というものが表の先進イメージとは逆に、実は変化とイノベーションを嫌うきわめて保守的な業界であることははっきりしていた。しかもウェブの登場によってマスメディアの価値は低下し、「マスメディアの希少性」というボトルネックを利権支配するようなビジネスモデルが早晩崩壊することもはっきりしていた。

後輩たちには広告業界の「外」へ出ることを勧めた。シュリンクしていく市場の運命と自分の人生を切り離すことを勧めた。若い彼らが必死で今の仕事を遂行することは、結果として業界および会社の高齢社員達を延命させることになる。近い将来消え去ることが必定であるものには、速やかに引導を渡し、そこから立ち去るべきだ。

そのようにして後輩たちは広告業界の「外」へ出て、新しい場所で自分のフロンティアを見つけ出すだろう。だが、今この「縮む日本」にいる私たちにとって、一体そのような「外」は存在するのだろうか。それはもちろん、単に海外に行けば良いと言う話ではないはずだ。では誰に引導を渡し、ここからどこへ立ち去るべきなのか・・・・・。

久しぶりに、ヤードバーズの名曲「幻の10年」(Happenings Ten Years Time Ago)でも聞いて考えよう。

三宅 啓  INITIATIVE INC.


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