ソーシャルメディア

ソーシャルメディアを概観するスライドやビデオはこれまで多数発表されており、正直言ってもうお腹いっぱい状態だが、このスライドはユーモアもあり秀逸。ところで今月初めに開催された「AD:Tech TOKYO」でキーノートスピーチを務めたジョシュ・バーノフ氏は、自身のブログで「In Japan and Korea, consumers embrace social technology faster than marketers」 というエントリをポストし、「日本企業は消費者に比べソーシャルメディアへの対応が遅れている」と述べている。

たしかにそのような傾向はあるかもしれないが、日頃から闘病サイトにかかわっている当方の実感としては、企業のみならず消費者の方が、果たして「ソーシャルメディア」という概念でたとえばブログをとらえているかといえば、そうではないような気がする。新しい可能性として「ソーシャルメディア」に着目するよりも、むしろ古いリアル日常感覚の習慣を持ち込んでいるようなシーンを目にすることの方が多い。このままいくと日本の「ソーシャルメディア」は、かなり特殊で孤立した文化圏を作っていくことになるのかもしれないが、これは「闘病ユニバース」にとって良い方向ではないだろう。そのような危惧の念を覚えることもしばしばである。

これに対し先週の「The Steve Rubel Lifestream」では「Translation Technology Can Open Your Eyes to a Global Social Web」 とのエントリで、翻訳機能の進化によって「グローバル・ソーシャルWeb」への目が開かれるとの素朴な期待が表明されている。たしかに、たとえばTOBYOも日本語闘病サイトだけでなく、翻訳機能を介して世界の闘病サイトにあるグローバル闘病体験にアクセスできるようになれば素晴らしいだろう。これは決して不可能ではないだろう。しかし、今の日本の現状を見ると、そんな能天気な楽観論だけで済むわけでもない。今更ながらインターネットやソーシャルメディアが本来持つ新しい可能性を繰り返し述べていく、そのような忍耐強さも現実には求められているのだ。

そんなことを考えているところへ、先週、TechCrunchに「ドイツのブロガーたちが起草したジャーナリズムのための『インターネットマニフェスト』」 というまさにドンピシャな記事が出た。レガシーメディアに対する批判という形は取っているが、ドイツで起草されたこの「マニフェスト」は、「インターネットの原点とその可能性」をあらためて力強く宣言し確認するものになっている。「いまさら感」はあるものの、とにかくこれを読んで素直に元気になった方が良いに決まっている。

三宅 啓  INITIATIVE INC.


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