闘病サイトのライフサイクル

TOBYOでは、引き続き闘病サイト情報を収集している。現在、約12,500件の闘病サイト情報を公開しているが、この中身を見ると、これらサイトは決して不動のものではなく、実は流動的である。闘病サイトは永遠不滅なものではない。闘病ネットワーク圏を観察していると、どんどん新しい闘病サイトが登場する一方、ひっそり閉鎖され消えていくものも多いことに気づく。

何もない空間(ネット上)に、突然、ポッと光が現われ、明滅を始め、やがて消えていく。

私が闘病サイトを観察しているうちに抱いたイメージはそのようなものである。かつて闘病ネットワーク圏のことを宇宙にたとえたことがあるが、それは闘病ネットワーク圏を構成する闘病サイト群が、全体としてまるで宇宙に散在する銀河、星雲、恒星のように見えたからだ。個々の闘病サイトは出現しては消滅している。これについては「宇宙=量子論的な真空」を想起する必要があるのかもしれない。

ふつうに「真空」というと、何もない空っぽの空間のことと思ってしまうのかもしれない。(中略)。量子論で考える真空はそれとは違い、(中略)何もないところに電子と陽電子が対でポッと生まれてきて、それがまた合体して消える。そのような生成・消滅を繰り返しているのが真空である。(「宇宙論入門」佐藤勝彦、岩波新書)

この一文を読んだとき、とりわけ「ポッと生まれる」という表現が、闘病サイトのイメージに酷似していると思った。何かの原因によって、必然として「闘病サイト」が作られるのではなく、因果律などとは無縁の顔をして、それらはポッと生まれてくるのである。そして現在、闘病ネットワーク圏に見えている闘病サイトは次の三種類になる。

  1. 現在闘病中のサイト
  2. 闘病が一段落し、寛解もしくは完治したサイト
  3. なんらかの理由で遺棄されたサイト

まず闘病サイトは、ポッと闘病ネットワーク圏に現われて「1.現在闘病中のサイト」となる。次にやがてそれらは「2.闘病が一段落し、寛解もしくは完治したサイト」へ移行する。そして、さらに「3.なんらかの理由で遺棄されたサイト」へと移行し、最期には消滅する。中には2を飛ばし、1から3へ移行するケースもあるだろう。たとえば闘病空しく、闘病者が故人となるケースである。あるいはエントリ「あるエピキュリアン闘病者の呟き」で紹介したように、故人の遺言によって可能な限りサイト存続を託されるケースもあるだろう。

「闘病サイトのライフサイクル」というものを極めてシンプルに整理すると、以上のようになるだろう。そしてライフサイクルの三つのステージをそれぞれ検討してみると、運動量、情報量などが異なることも分かってくる。つまり「闘病記」とか「闘病サイト」と一口に言っても、それがどのステージにあるかによってその性格は大きく異なるのである。そのことはまた、全体としての闘病ネットワーク圏の可能性と運命に直接関係するとも言える。つまり、闘病ネットワーク圏に存在する全闘病サイトのステージ別構成比がどのようになっているかが、おそらくネットワーク全体のポテンシャルを決定すると思われるからだ。

たとえば「3.なんらかの理由で遺棄されたサイト」が大多数を占める闘病ネットワーク圏というものを考えてみると、その闘病ネットワーク圏全体にある知識と情報は古く、活動は全体として停滞していることが想定されよう。実際の闘病に役立つ実践情報は少なく、逆に、研究対象として資料的価値を有する一種の「闘病アルケオロジー空間」として闘病ネットワーク圏を見る者すら出てくるかもしれない。ということは、それぞれのステージに対する関心の持ち方が、関係者集団(たとえば闘病者、起業家、研究者)によっても違ってくることを示している。闘病ネットワーク圏は、見る者によって「別の顔」を見せているということだ。

闘病ネットワーク圏をビジネスフロンティアとして、あるいは事業環境として捉えてみる場合、以上のような基本視点が必要になるのかもしれないと、最近、あれこれ考えている。

三宅 啓  INITIATIVE INC.


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