成熟と老成

エスタブリッシュメント企業やメディアの方々と話をしていて、時々、まったく話が通じないことがある。インターネットに対し、いまだに妙な偏見を持っていることがわかり、シラけてしまうことも多い。予断や偏見はまだ根強く存在するのだ。

TOBYOは闘病サイトに公開された闘病者の知識や体験を活用するツールであるが、なぜかエスタブリッシュメント企業の方々は偽装闘病サイトなどに強い関心を示し、「偽装サイトをどうやって排除するのか」について執拗に聞かれることがある。まるで「ネット上にユーザーが公開したコンテンツなんか信用できるものか」と言わんばかりなのだ。つまりネガティブな粗さがしに熱心で、予断を正当化するような事実だけに注意を向けるような方々が多いのだ。

これら予断や偏見の大半はネットに対する無知に由来するのだろうが、彼らが所属するエスタブリッシュメント企業文化が強いる発想・思考フレームの結果であるとも思える。「無知」は単に知ればすむことだが、思考フレームを現実に合わせて修正するのは容易なことではない。自分たちが慣れ親しんできた思考フレームを変更したり、あるいは否定したりしなければならない時、人は大きな苦痛を強いられるからだ。

私はかつて20世紀の広告業界でマーケティング・プランナーの経験を積んできたが、ベンチャーを起こすときに、結局、これら蓄積してきた知識や経験則を積極的に忘却し捨て去る必要があった。20世紀マーケティングの延長線上に、TOBYOというプロジェクトは存在しないからだ。

日本企業は戦後数十年の間に成熟化を遂げた。だがそれは新しい価値を生み出す方向へ向けてではなく、むしろ新しい発想やチャレンジを巧妙に内部封殺するための仕組みへ向けてであった。そしてこのような企業社会の「老成閉塞化」の主役として、今、団塊世代の世代責任が問われているはずだ。

三宅 啓  INITIATIVE INC.


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