「医療プライバシーは死んだ」

先週、米国IT界の教祖的存在として知られるRobert Scoble氏 がfriendfeedに「医療プライバシーは死んだ」と投稿し、大きな反響を呼んでいる。

  1. あなたの病気を公開すれば、他の人が助けてくれて、ドクターよりも多くの情報を教えてくれる
  2. あなたの病気を公開すれば、他の人が、あなたがこれまで考えたこともないようなアイデアを教えてくれる。(このことが今夜私に起きた)
  3. あなたの病気を公開すれば、あなたの人生で何が起きているかを他の人に言うだけで、気分はすっきりする。
  4. あなたの病気を公開すれば、あなたが治療計画で騙されないように、他の人が確認してくれる。

         (“Health privacy is dead. Here’s why:”
    January 21 at 1:25 pm)

以上の氏の問題提起に対し、様々な人々がコメントを書き込んで興味深い「医療プライバシー」論議が展開されている。一読の価値あり。先週、「医療情報の流動性」についてエントリを書いたが、流動性にかかわる一つの大きなポイントが「プライバシー」問題であることは間違いない。たとえば一昨年から立ち上がってきた大規模PHRに対しても、現にいくつかのプライバシー保護団体から疑念と規制強化の声が上げられている。「プライバシー保護」という大義名分が医療情報の流動化規制のロジックに使われる可能性は高く、しかもこれに対して異論を唱えにくい空気もある。だが、プライバシーをまるで不可侵聖域のように扱うことは常に正しいのか。Robert Scoble氏の投稿は、この問題に一石を投ずるものであり、いささかセンセーショナルなタイトルながら、これ以上ない直截さで要点を語ってくれている。

そもそもプライバシー自体が歴史的概念であり、永遠不滅なる普遍的概念ではない。

われわれのプライバシーという考え方は全面的に変わった。20年前なら、私は決して自分のコミュニティに病気のことを言ったりしなかっただろう。今日は? そうすることで巨大な利益があるのだ。(同上)

ネット上で公開されている闘病記もまた、旧来の「プライバシー保護」という考え方からは決して出てこない現象である。闘病者が自分の体験を公開することは、自らのプライバシーを危うくすることにつながる。しかし闘病者たちは、公開することによって、「患者の叡智」から得られる大きな利益(他人からのアドバイス、知識・体験共有)があることをよく知っているのだ。

従来の古い「プライバシー絶対主義」は、闘病者たちによって乗り越えられようとしている。そのことをRobert Scoble氏は実にシンプルに表現してくれた。

医療プライバシーは死んだ: “Health privacy is dead. Here’s why”

三宅 啓  INITIATIVE INC.


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