2009年、この国の希望

Exodus

世界的経済危機のせいだろうが、今年は年初から世の中は悲観論一色である。今日の日経朝刊「経済教室」では、作家の村上龍氏が「希望再興へビジョン描け」と題する長文の提言をしている。

  1. 世界的な信用収縮への危機意識にズレ
  2. 社会各層の利害対立で不信の連鎖起きる
  3. 高度経済成長で失われたものの再構築が必要

村上氏の論旨は以上三点である。なかでも第二点では、派遣社員の契約打ち切りをめぐるマスメディアの感情的な報道を批判し、「需要変動時に雇用調整を行うのは、経営者の恣意的な行動ではなく資本主義に組み込まれたシステムだから企業・経営側を悪役にすればそれで解決するというものではない」と正論を展開している。また第一点でも「ひょっとしたら今回の危機は循環的なものではなく、歴史的な大転換期なのかも知れないという仮定に立ったシミュレーションと将来的ビジョンが必要だと思うのだが、ほとんど感じられない」としている。

概ね納得のいく提言であるが、第三点目にはどうしても違和感を持ってしまうのだ。氏によれば「高度経済成長で失われたもの」とは「家族・世間などの親密で小規模な共同体」のことらしいが、かつての家族や地域コミュニティを復興することは、どのような手段を通じても不可能だと思える。また、「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。でも、希望だけがない」と村上氏の作品登場人物が語る有名な場面があるが、この「希望」が「家族・世間などの親密で小規模な共同体」であると、いまこの時点で作者自身が言うことに納得がいかない。いつからこの国の「希望」は、このように内向的な仲間内の微温的コミュニティへと変質してしまったのか。あの作品(「希望の国へのエクソダス」)の中での「希望」とは、こんな言ってみれば「パラダイス鎖国的な希望」であったのか。そうだとすれば「エクソダス」(脱出)などまったく必要ないだろうに。

さらに、この未曾有の経済危機の中にあって多くの悲観論が語られるのは当然だろうが、何か「内向的な気分」とでもいうものが世の中に出てきている気がする。中には「内向志向」に開き直る輩もいるようだ。(「内向き」で何か問題でも?」 (内田樹の研究室))

内向願望はご自由だが、今や世界と切り離された日本など想像さえできないこの現実から、いったいどこへExodus(脱出)するつもりなのか。

まるで江戸時代のディレッタントと化したかのような団塊知識人には、いまさら何も期待するつもりもないが、この国の「希望」だけは安売りしないでもらいたい。「希望」は彼らの占有物ではなく、若い人たちや子供たちのものなのだから。

三宅 啓  INITIATIVE INC.


2009年、この国の希望” への2件のコメント

  1. いつも勉強しています。メール差し上げたいのですが、メールアドレスはどこをみれば見ればいいでしょうか?

林  にコメントする コメントをキャンセル

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