「日本版PHR」の行方

WhatsGoinOn

昨年立ち上げられた経産省、厚労省、総務省、内閣官房による「日本版PHRを活用した健康サービス研究会」だが、先月にはひととおりの議論を終え、研究報告書を発表したようだ。ざっとこれまでの議論について配布資料等に目を通したのだが、何か議論の拡散ぶりばかりが目につき、いまいち密度の高い「収束力」の存在を感じ取ることができなかった。

各人各様のPHR論があってもそれは構わないのだが、こうまで研究会メンバーが多人数すぎると、もとより議論の収束点は消失するほかないのだろう。「総花的な、とっ散らかったPHR談義」という印象をぬぐえない。

まず、医療分野に限定してPHRの目的・役割・機能を定義してみるというような、課題限定的で特化ミッション型のアジェンダ設定が必要だったのではないだろうか。それが、「健康サービス一般」というような領域横断的(つまり総花的)な話へと無理やりに拡張されたとき、議論は収束する機会を失っていたと思う。「PHRから出ていく情報の二次利用、三次利用」みたいな「出口論」のイメージで、「まず、健康産業振興ありき」を前提に議論を延伸したとき、すでにそのPHR論は医療とのアクチュアルな関係性を断たれていたのではないか。もっと「医療にこだわるPHR論」であるべきではなかったのか。「医療」とのアクチュアルな関係性を断たれてしまえば、そこには「根無し草のPHR論」しかないではないか。どうも議論の前提に、ある種の「転倒」が起きていたのではないか。PHRの上位概念は「健康産業」ではなく、「医療」である。「どのような医療をつくるのか」という命題のもとにしか、PHR論の存立余地はないはずだ。

だが、「医療にこだわるPHR論」とは、まさに最大のアイロニーではある。もともと、PHR論を展開するということは、まさに「現実の医療」をどう見るかということなのだ。GoogleHealthを陣頭指揮したアダム・ボスワースは、まず彼自身が米国医療の現実をどう見るかを考え、語り、そして論理化したのだ。「Google Healthをつくる」というミッションを果たすために、米国の医療の現実と立ち向かい、それをどのように改革すべきかを、ビジョンとして打ち出すところから出発したのだ。その意味で、このPHR研究会の「医療ビジョン」とは、一体、何だったんだろう?。

それとビジネスモデルについての議論が延々とあるが、出席している研究会の民間メンバー達はこんなところで「ビジネスモデル論」を議論するよりも、まず自分でリスクを取って、現実にPHRをやってみたらいかがか。まさか国が「基準を決めてくれ、お膳立てをしてくれ、補助金まで投下してくれる」のを、口を開けて待っているわけでもあるまい。

ところで一方ではすでに、文字通りの「日本版PHR」実現へ向け積極果敢なチャレンジが現実に開始されている。当方は、こちらの行動的な人々のチャレンジの方を注目している。多人数による多くの時間を費やしたたいそうな議論よりも、一つの勇気あるチャレンジと行動こそが、市場を間違いなく創造していくのだ。国がやるべきことは、これらの勇気あるチャレンジ精神と行動を称揚こそすれ、けっしてその邪魔をしないことではないのか。

Picture “Health Transformation 2.0″ by Scott Danielson

三宅 啓  INITIATIVE INC.


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>