PHRマーケティングの与件整理

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米国医療マーケティング会社「Chilmark Research」社の市場調査によれば、米国PHR市場は急速に構造転換しつつあり、今後次第にB2B(Business to Business)モデルが主流になることを予想している。「過去数週間、われわれが実施した多数のPHRベンダーへの聞き取り調査によれば、消費者から大組織へと、彼らのマーケティング焦点が変えられつつあることが決定的なトレンドであると言える。この『大組織市場』は三つの特徴的市場から成る。すなわち雇用者、医療保険、そして医療機関である。PHRベンダーは、彼らの顧客の中で、これら三つの大組織がPHR導入促進を図る上でより効率的なアプローチ先であり、広範囲だが乗り気ではないエンド消費者市場よりもこれら組織をターゲットにする方が、はるかに容易であると見なし始めている」。

米国では現在約200ものPHRサービスが存在するといわれているが、その市場は大きな潜在的ポテンシャルを持ちながらも、いまだ導入期の端緒に着いたばかりである。そしてこれら多くのPHRサービスの中で最初に消えていくのは、どうやらB2C(Business to Consumer)モデルで、デスクトップやUSBメモリ・ベースで提供されているPHRではないかとChilmark Research社では分析している。これに対しウェブベースのPHRはアップデートが容易かつ低コストで、一度に多数のユーザーにサービス提供できるメリットがあり、大組織市場をターゲットに市場開発が進むだろうと妥当な予測をしている。

B2CからB2Bへという風向きの変化は当然として、問題はPHRが単独の独立システムとしては想定できず、常に外部の医療情報システムとの関係を意識しなければならないという点にある。具体的には、医療機関側のEMRやEHRに入力された医療データを自動的にPHRに転記するとか、また逆に医療機関からPHRのデータを参照するとか、つまり他の医療情報システムとの相互乗り入れをどのように円滑に確保するかが問題となる。ここを細部まで詰めなければ、GoogleHealthの二の舞になる。思い返せば、GoogleHealthはB2Cモデルとして構想され、「他の医療情報システム」との接続の問題は結局具体化されないまま一旦は放置されてしまったのである。

次に「データ・ポータビリティ」の問題がある。先週、このことに関連して二つの注目すべき出来事があった。ひとつは米国医療保険「UnitedHealthcare」グループのOptumHealth社が、PHRの終身利用版提供を発表したことである。この新しいPHRは、将来ユーザーがUnitedHealthcareの医療保険から離脱したり、転職したりしても、そのままPHRシステムを利用し続けることができるから、データをダウンロードして他のPHRに乗り換えることも可能。つまり終身サービス利用をユーザーに提供すことによって、実は個人医療情報のポータビリティ(可搬性)を実現しているのである。

次にドイツの開業医全国連合組織である「NAV Virchow Bund」が、ドイツ保健省のEHR構想を批判し、USBベースPHRを提案していることが先週報道された。これは、昨年末発覚した英国NHSの大規模個人医療情報漏洩事件に影響された動きであるとされる。ドイツ開業医連合側では「この英国の事件は、NHSが国民の個人医療情報を一点集中管理していることに原因がある。このような中心化システムに伴うリスクは非常に高く、むしろ分散化した医療情報システムを目指すべきだ」と主張している。まるでこれは、英国保守党キャメロン党首の「脱中心化」発言と符丁を合わせるかのようである。そして、「中心化システム」の代替案となる「分散化システム」としてUSBベースのPHRが提案されているのだが、ある意味でこれはデータ・ポータビリティをめざすものとも言える。個人医療情報は政府のサーバーに一括集中管理されるのではなく、個人がUSBメモリにストアして持ち歩くものとして構想されているからである。もしもUSBメモリを紛失したり壊してしまっても、医療機関はじめさまざまな場所で分散管理されている個人医療情報をアグリゲートし、新しいUSBメモリにPHRとして再生すればよい。これは、先述したChilmark Research社のUSBメモリPHR予測とはまるで逆を行く発想である。

以上の二つのPHRに関わるエピソードは、プロプライエタリなシステムや一点集中管理システムに縛り付けられることなく、個人が自分のデータを自在に持ち運べる可能性の一端を示している。

だが、PHRがB2Bベースで開発されるとすれば、それはデータ・ポータビリティの問題とはある意味で逆行する動きになる。たしかにPHRの早期普及を考えるとすれば、当面B2Bモデルで行くしかないだろう。つまり、PHRニーズを「個人ニーズ」として掘り起こすことが、当面初期段階では非常に難しいからだ。それよりは大組織のニーズを把握して、そこに属する個人に組織提供するほうが話は早い。だが、その組織に属する個人は、永遠終生にわたりその組織に所属するわけでもない。今後の社会もまた、組織への帰属へではなく、個人の流動性を高める方向へ向かっている。これは企業や団体だけの話ではない。国家から離脱し、他の国家の国籍を得る者だって増えて来るはずだ。

だからB2BでPHRを考える際、将来の個人ニーズを見通し、今からそれにどう応えるかが重要な気がするのだ。概して社会保障制度というものは、「個人が特定組織に終身帰属する」ことを前提に制度設計されている。医療が社会保障制度の一翼を担うこともあり、われわれが医療情報システムを構想するとき、間違えやすいのはこの「個人と組織」の関係の固定化だ。医療情報システムを構想することは、医療とITを論じるだけでは済まない。将来、どのような未来社会が到来するかについての想像力が必要なのだ。

三宅 啓  INITIATIVE INC.


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