多様性の創造

昨日の「消費者の医療観」に関連して、消費者ニーズと医療サービス提供の間のギャップがやはり問題になると思う。特に日本の場合、医療サービス提供方法がかなり画一的であり、これと消費者ニーズが相当大きくずれているのではないかと考えられる。消費者のライフスタイルや生活時間実態に医療の方が対応できず、逆に「提供者側の都合」を消費者に強いるようなかたちになっている。基本的には「消費者側の都合」に提供者側が合わせなければならないのだが、医療の場合は例外的に、従前からの対応硬直性がそのまま残されているように見える。

大衆消費社会は消費者ライフスタイルの多様性を生み出したが、流通などは新業態開発などによって、これらにいち早く対応してきた。だが、医療、金融、行政などの対応はいちじるしく遅れてきた。「24時間、365日」が当たり前になりつつあるサービス業にあって、これら業界は、いまだ「提供者側の都合」の発想から抜け出すことができないのだ。ここに大きなギャップが存在する。ギャップは苛立ちや不満の温床であり、あるいは容易に不信へと転化する。

最近、「モンスター・ペイシェント」なる患者像が医療者視点から苦々しく指摘されている。だがこれとは逆に、消費者視点からはドクハラをはじめ「モンスター・ドクター」の存在がこれまで口コミで問題視されてきたのである。このことは多くの闘病記が語っていることである。以前、「闘病記において、概ね医療者は感謝されている」と述べたが、同時に医療者に対する少なくない苦情があることも事実である。「消費者側の都合」と「医療者側の都合」の間にあるギャップをはさんで、これら対抗的な「二つの視線」が交わることなく相手に向け投げられている。このような光景が日本医療の一つの現実かもしれない。「医療崩壊」を医療者側が言えば言うほど、消費者側は「医療不信」をつのらせるという、不幸な連鎖があるように思われる。

だから「死生観をもて」などお説教を、従来のパターナリズム(父権主義)やプロフェッショナル・フリーダム意識の延長でやってしまえば、かえって反感を買うことになるのだ。それよりも現実の消費者ニーズに対応するような、多様な医療サービス提供開発こそが優先されるべきだ。たとえば、リテールクリニックはリーズナブルな医療サービスを文字通り「24時間、365日」提供する新業態だ。たとえば看護師の権限を拡大することによって、これらリテールクリニックをはじめとして、他にもさまざまな新しい医療サービスを大量に安く提供する道が開けるのだ。要は「消費者の都合」に合わせ、さまざまな医療サービスが必要に応じて選択できる状況を作り出すことだ。時間、場所、都合に応じたメニューバリエーションがこれまでの日本医療には少な過ぎた。

日本医療に一番欠けているものは多様性ではないだろうか。画一的な計画主義が当然だと思われてきた日本医療を、そろそろ疑い始めてもよい時期に来ているのではないだろうか。そうでないと、「医療崩壊&医療不信」という不毛な言葉の投げ合いが続くことになる。

三宅 啓  INITIATIVE INC.


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>