ある臨界点をめぐる考察

最近、いろいろな人にお会いしてよく聞かれる質問に「あまり医療のことはよく知らないのですが、医療系ベンチャーにはやはり相当の医療の勉強が必要でしょうねぇ・・・」というのがある。それに対し「いいえ、むしろ医療のことをあまり知らない方が良いケースもありますよ」と応えると、たいてい意外な顔をされることが多い。

医療者でもないのに中途半端に医療界の事情通になったりすると、次第に自分が医療界のメンバーであるかのように錯覚しはじめ、挙句は医療界に成り替って消費者に説教までしだすような例をこれまで何度も目撃して来た。こういう連中は、最初は消費者中心医療とか患者目線の医療などと、消費者や患者を持ち出してむしろ医療界や官庁などエスタブリッシュメントに批判的なポーズを取ることが多いのだが、ある「臨界点」を超えてしまうと、逆に「医療界の事情」とか「国の医療政策」などと、訳知り顔に消費者に向かって解説し、啓蒙家を気取り始めるのである。まさに「ミイラ取りがミイラ」である。「国の医療政策はかくのごとく進展し云々・・・」などと役人作文然とした決まり文句を並べ、まるで「国営NPO」ででもあるかのような、そんなミイラ団体まで存在するから恐れ入る。


一見、消費者寄りの名称を付してある団体、書名、肩書きであっても、これらミイラ族は多いので用心するに越したことはない。ではこの「ミイラ化の臨界点」というものだが、いったいどう考えればよいのだろう。それは端的に官庁の検討会や審議会の類、あるいは医師会やIT業界団体主催の研究会やシンポジウムなどに、「消費者代表」などと持ち上げられ招聘された時点であるように見える。たとえば官庁主催の検討会などだが、よく観察してみると、同時に複数の会の「委員」を歴任する「売れっ子ミイラ」が存在することがわかるだろう。役所から見て利用価値あるいは「ミイラ価値」があるから、こういう現象が起きる。いわば「官庁御用達ミイラ」なのだ。彼らは医療界や官庁の集まりには「消費者代表」という立場で振る舞い、逆に消費者や患者に対しては医療界や官庁の代弁者または「専門家」として説教しようとする。このような矛盾した二重性を使い分けるのが、これらミイラ達の習性なのである。

もちろん医療関係のベンチャーを志すのは、これら医療ミイラになることとはまるで別のことである。消費者や患者に説教し啓蒙家を気取るのではなく、むしろ消費者や患者の目でものを見て、消費者や患者の心でものを考えることが求められる。つまり、いかに自分がミイラ化しないでおくか、消費者や患者の側に身を置いておくか。これを必死に持続的に追求していくことが求められる。だから、医療界や官庁の事情通になる必要はない。中途半端に医療を勉強する必要もない。また、ミイラ達の見せかけの権威やネームバリューに臆し騙されてはならない。

三宅 啓  INITIATIVE INC.


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