ウェブ闘病記の流儀

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マスコミ関係者から取材を受けたりする時に、必ず聞かれる質問は「ウェブ闘病記の信頼性」の問題である。そしてこの質問が発せられる時、いつもこれとペアで対比的なニュアンスを持って言及されるのは「患者会」である。つまり「ウェブの個人手記など信頼できないが、リアルの団体なら信用できる」と言わんばかりなのだ。このような予断がどうしてマスコミ関係者の間に多いのかは謎だが、ウェブに対する本能的な憎悪みたいな、何か寒々しい意図の気配さえそこには感じられるのである。

そして「ウェブ闘病記の信頼性」については、これも決まり文句のように民間療法、宗教、健康食品などとの関係を懸念する質問が多い。「TOBYOでは特定の民間療法、宗教の類をメインとする闘病記録は扱わない」と説明するとおおむね納得されるのであるが、そもそも事前に闘病サイトをいくつか読んでおけばこのような質問は出ないはずだ。ウェブ闘病サイトにある体験ドキュメントのほとんどは、これら民間療法等とは無縁である。このことは、この間、1万件近いサイトを見てきた経験に照らして断言できる。もちろん、中には怪しげな民間療法や健康食品を取り上げる闘病サイトもあるが、それらは皆自分達の営業目的をもった偽装闘病サイトであり、実際に闘病者によって体験された事実の記録ではない。

とはいえ、ごく稀にだが、代替医療や民間療法をメインに闘病する患者が闘病記をTOBYOに登録してくることもある。この場合、明らかな営業行為は認められないが、TOBYOの内規に基づいて判断しお断りすることがある。「内規」と言っても大げさなものではないが、一応、「近代医学に基づき正規の医療機関で提供される医療の体験」をTOBYOでは闘病体験とみなしている。だがこれもあくまで当方の私的な基準であり、これを一般化したりするつもりはない。

闘病者が近代医療ではなく、たとえ民間療法や祈祷のたぐいを選択したとしても、それは個人の選択の自由であるだろう。違法でない限り、その自由を否定することはできない。また、民間療法などがまったく効果がないとも、実際に検証をしてみない限り断言はできない。現に米国政府などは、代替医療の研究に1億ドルもの予算を投じている。「代替医療のエビデンス」を実地に蓄積していく試みもあるようだ。

また一方では、医療者自身が最近になって「医療は科学ではない」と主張しはじめている。これは「医療は100%の安全や治癒を保証するものではない」ということを言いたいのだろうが、誤解をまねきやすい表現だと思う。もともと近代科学自体が「100%」を保証するものではないはずだ。さらに科学性を否定してしまえば、近代医療と民間療法との差異を一体どのように説明できるのか。

このように闘病記を取り巻く状況は混沌としているが、それでもなお「近代医療の体験の記録」という節度が守られている。実際には民間療法を併用するケースも多いはずなのに、闘病記にはあまり出てこない。このあたり不思議と言えば不思議である。一体どのように理解すればよいのか、分からない部分が多い。しかし一つ言えることは、闘病ネットワーク圏で共有され継承されてきた、ある種の「記録の流儀」が存在するということである。この「流儀に即して書く」という文化によって、民間療法が記録から外されていると言えるのではないか。注意深く見ると、これらの文化は各病名ごとに共有されているように見える。闘病記の体裁、記載アイテム、文体など、それぞれの病名ごとに確かに「闘病記文化」が存在しているのだ。

三宅 啓  INITIATIVE INC.


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