伽藍とバザール

bazaar

TOBYOの闘病記1万件検索機能の準備を進めながら、一昨日触れたエスター・ダイソンの言葉に触発されつつ、「Health2.0とは?」ということを考えている。今朝も、ふと目覚めてみると、その問いが天井から舞い降りてきた。昼食後、快晴の新宿御苑遊歩道を散歩している時に、抜けるような青空から秋の陽とともにその問いは降ってくる。

定義やその背景が問題なのではなく、もっと正確に言えば「なぜ、Health2.0というものを、今問うているのか」と「問いを問う」ような、まるで禅問答みたいなことを考えているわけだ。昨日はクラウド・コンピューティングをエントリに書いたが、やはりそこにも同じ「問い」が存在するはずだ。

このブログを改めて振り返ると、医療プロパーとして医療改革へ向けた洞察を進めるという視点からではなく、むしろ医療の外部から医療がどう見えるかに強くこだわってきたと言える。その際、「外部」として無意識のうちに想定されていたのが「2.0」という場所なのではないか。つまり、これまでのように医療を、医療の内部やその周辺から、あるいは従来の政治・産業・社会に寄り添いながら語ることの無力さに失望した上で、それらとはまるで違う場所を想定し、そこから語るしかないという「暗黙の前提」のことを「2.0」と呼んでみたのではなかったか。

また次のようにも言える。
従来の医療を「患者中心の医療」と呼んでみたりするような単なる「意匠変更」には、すでにみんな飽き飽きしているし、その嘘っぽさも充分に露呈してしまっている。官庁御用達の御用学者、御用評論家、御用NPOの「啓蒙」にも、もうこれ以上付き合うのはご免だ。スコット・シュリーブが昨年のHealth2.0コンファレンスで、いみじくも「伽藍とバザール」という対比で雄弁に語ったように、われわれは高く聳える「伽藍」の上から「広場」を見下ろしているのではなく、みんな医療という広場に開かれた「バザール」の雑踏の中にいるのである。そこには医療者も患者も雑多に入り混じっており、雑多ながらも「バザール」という緩い秩序を共同して維持し形作っているのである。これは「伽藍」から眺められた景観とはまるで違ったものだ。このようなバザール的な、参加と共同による新たな価値創造へと向かう力源が、20世紀後半から今世紀初頭を貫く情報革命なのだろう。

近代医療が持つ「伽藍上から垂直に見下ろす」ような視線を、参加原理に基づくバザール的な共同と共有の相互視線へと、情報革命の成果をもって変えてしまうこと。これがHealth2.0なのだ。

三宅 啓  INITIATIVE INC.


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