闘病記と現実

先週、がん患者が「病気ゆえに職を失う」という事態が頻発していると新聞で報じられていたが、闘病記を読めばこれらは当たり前に日常茶飯事であることがわかる。就業規則で決められた長期病欠期間を超過した場合のみならず、職場への遠慮から自主的に退職するケースも多い。

病気によって失われるのは職だけではない。病気を理由とする離婚など、家庭内紛争、家庭崩壊がかなりの件数あることも闘病記には記されている。「患者と共に病気と闘う家族」という美しいモデルは、すでに必ずしも一般的ではなくなりつつある。だが一方では、病気をめぐる「美談」や「感動」がテレビドラマや特番で押し売りされている。この落差を、いったいどのように理解すればよいのだろうか。

ウェブ闘病記には、感傷が介入する余地を許さない切迫した事実がある。その事実をしっかり闘病記に読み取るかどうか。このことが読み手には問われているのである。そこに語られている「事実」は、安直に安物の「美談」や「感動」へすり替えられてはならない。読み手には、事実を事実として読解する誠実さが求められているのだ。

われわれが生活しているこの現実社会には、病気で職を失い、病気で家庭を失う、という事実が多数生起しており、それらはいかなる「美談、感動」とも無縁である。このことを知るためにも、闘病記を読んで損はないだろう。闘病記は物語ではない。現実を物語として消費しようという考え方自体が、もはや救いがたいほどに古臭いのだ。

三宅 啓  INITIATIVE INC.


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