インターネットのある時代

「闘病体験の共有」という自分たちのテーマを設定し、そしてそれをTOBYOというツールに具現化する過程で、様々にご意見やご批判をいただいてきている。そして「やはり」と言うべきか、「無法地帯としてのインターネット」という「お決まり」のネット観に基づく懸念の表明に何回か遭遇した。それらはたいてい「匿名、スパム、炎上」など、いわばネット批判のクリシェ(紋切型)とも言うべきワードに集約されるのが常である。このブログの初期に、出版で供される闘病記を持ち上げながら、一方ではネット闘病記の価値を貶めるような発言をしている評論家柳田邦夫氏を批判したことがあったが、これらネットに対する偏見はいまだに根強く社会に存在している。ネット闘病記に対し、いまだに「匿名性」を問題にしている医療界の研究者もいるようだ。

もちろん匿名より実名が望ましいのは当然だが、匿名によって自己の闘病体験を公開する心理的バリアが下がり、今日の闘病ネットワーク圏の隆盛を見るようになったことも事実である。だが、一方ではスパムコメントに辟易してサイトを閉じる例もある。これらの事実の一部を取り出して全体を断定することはできないのだが、下記に引用した意見を持つような闘病者が存在することも、また事実なのである。これはある乳がん患者の闘病記にポストされたエントリである。

ここで言われる「インターネットがあってよかった」という言葉は、他の闘病サイトでもしばしばよく見かけるのだが、あの「2チャンネル」に下記のような評価が存在することも知っておいてよいだろう。

「インターネットのある時代」

世間では評判の宜しくない某巨大掲示板の、数年来のユーザーである。
某巨大掲示板の存在意義についての私見は置いといて、それこそ今夜のおかずからテレビドラマの評価、ごく一部で熱狂的なファンを持つ寡作ミステリー作家の新作ニュース、フリーウェアの使い心地まで、何事かを迷った時、困った時は、真っ先に頼って来た。
だから、乳がんが決定した時から、当然の如く乳がんスレを覗くようになった。
不安をこぼせば、即、レスがある。
匿名であるがゆえに、お互いに何処の誰かもわからないがゆえに、その言葉に誠実が見える。
昔昔、ある人が言ったことばが今でも忘れられない。
「人はね、知っている人には誰でも優しくするんだよ。でも、知らない人に優しく出来るのが本当に優しい人」。
たくさんの情報を得られるインターネットがあって良かったと思う。
そして、インターネットって世界に2ちゃんがあって、良かった。
Happy and Unhappy

三宅 啓  INITIATIVE INC.


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