2007年を振り返って: 医療の量的不足

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一心不乱に世界の医療とウェブをめぐる新しい動向を紹介し、その意味するところをあれこれ考察しながら書き継いできた当ブログであるが、今月ではや一周年を迎えた。何度も断っているように、元来、このブログはタイトルを見ればわかるが、「TOBYO」という新サービス開発上の進行状況や直面する問題を公開していこうとの趣旨で開設した。その本来の趣旨に照らしてみるなら、肝心の「TOBYO」ローンチがどんどん遅れ、一方の欧米Health2.0動向関連のエントリーがいつしか中心になって来たのである。率直に言って「本末転倒」とは、まさにこのブログのようなものを指すのかも知れない。

だが成り行きとは言え、実はこれはこれで良かったと思える。一年間で三百数十本のエントリーを書きながら、医療制度、医療情報、生活者ニーズ、ウェブやIT動向など、医療を取り巻く諸相をさまざまな角度から見る機会を得たからだ。これらの考察はもちろん当たり外れはあるだろうが、医療界に内属する「身内」視点からではなく、はたまた医療と全く無縁のエトランゼの視点からでもなく、フツウに医療と関わりながら生活する者の視点によって書き連ねたものである。もちろん、われわれが「医療と全く無縁」であろうはずもない。だからわれわれは皆、「生活者」という立場からもっと「医療」を身近なイシューとしてとらえ、もっと「医療」にモノを言うべきなのではないだろうか。生活者側から「医療ビジョン」を出してよいのだ。出すべきなのだ。

別に啓蒙家や社会運動家を気取るつもりはさらさらないが、これまでの「医療」は医療界に内属する「専門家」たちの、まるで専権事項であるかのように振舞っていたのではないか。または、妙な権威主義が跋扈する閉域ではなかったのか。

去る28日、「30病院に拒まれ死亡 大阪の89歳 到着まで2時間」(朝日新聞朝刊)との報道があったが、思えば似たようなニュースをここ数年、われわれは何度も繰り返し目にしてきたのである。病院側の「患者搬入拒否」理由はおおむねベッドの空きがないとか、対応施設がないとか、担当医師が不在とか、聞けば一応もっともな「理由」ではある。つまり「医療の量的不足」という問題に一般化され、そのことが「拒否理由」の原因として説明されているのである。また医師ブログなどでは、このようなニュースが報じられるたびに、上記のような医療者側の説明と、「マスコミの医療攻撃」に対する詳細を極める反論が掲載されているが、これもこれまで何回も見てきてもはや食傷気味でさえある

だが考えてみると、「日本医療は量的充足を達成し、次なる目標は質的高度化だ」とか、「世界に冠たる日本医療」などという言葉を日本の医療界が豪語していたのは、ついほんの数年前のことではなかったのか。それがいきなり今では「医療の量的不足」と言われ、この現実に瀕死の患者や家族が直面しなければならなくなっているのだ。ところがまた一方では、いまだに口を開けば「医療の質、医療の質」と意味もなく呆けたように繰り返す輩もいる。果たしてこれらは一体どうなっているのか?。

しかし本当のところ、ことは一向に複雑でもなければ難しくもないはずだ。この「量的不足」を解決するのは単純に「量的投入」のみに違いないからだ。では医療界で、この「量的投入」が論じられているかといえば、そんな気配はない。とにかくどこからであれ、投入する「量」の確保を具体的に検討することが喫緊の課題であるはずなのに、「身内」の論理が先行し、そのような実践的な課題設定はいつまでたってもおこなわれないのである。

「量的投入」とは一番単純に言えば医師の増員だが、他にもこのブログで再三取り上げてきた「リテールクリニック」のような新業態の育成であるとか、あるいはドイツで行われているような外国人医師の調達であるとか、この「量的投入」を実践的なアクション・プログラムへと変える方法はいくつもあるはずだ。たとえば米国で急成長中のリテールクリニックだが、これは看護師を中心に運営されるクリニックで、地域のショッピングセンターなど利便性の良い立地に設置され、24時間365日の医療サービスを地域住民に提供している。このような医療サービス拠点が一次医療圏を量的かつ面的に充分カバーすれば、風邪など軽微な症状で病院に行くような病院集中は緩和され、逆に病院側が重篤な患者の搬入拒否をするような事態は減るだろう。

だが、これを日本で実行しようとすると、地域における一次医療圏内の既存診療所との競合が問題となるはずだ。現にアメリカでは、急成長するリテールクリニックに反対する急先鋒が米国医師会(AMA)であり、大々的なロビー活動まで展開してリテールクリニックに対する「規制」を働きかけているほどだ。

日本でも同じことが起こるだろう。他の産業と同じく、医療界においても既得権益を享受する者は、ギルド的団結を軸にそれにしがみつき、絶対に手放そうとしないからだ。医師が外国人医師も含め多数増員され、さらにリテールクリニックのような新業態が出現すると、既得権益者たちは自分たちが従来にない競争にさらされることを知っている。つまり、実際のところ彼らは「量的投入」には反対なのだ。

では、医療界でしきりに「患者中心の医療」などと言われているあれは、いったい何なんだろうか?。実体のない単なる耳ざわりの良い「標語」にすぎないのか?。こんな得体の知れない美辞麗句があふれる日本医療界では、同時に、重篤な患者が病院への搬入を拒否され亡くなる方も出ている。このような医療界の現実を見ずに、問題にもせずに、そもそも、いったいどのように医療ITやウェブ医療サービスが論じられるだろうか。開発できるだろうか。

この一年、ブログを書き継ぎながら以上のようなことを考えてきた。とりわけHealth2.0のような医療改革との連動を志向するムーブメントが出てきたことに偶然立会い、大いに触発された。来年も「ビジョンドリブン」(Vision Driven)という方向性を大切にしていきたい。

三宅 啓  INITIATIVE INC.


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