消費者志向でない日本医療システム

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ワシントンポストに掲載されたレジーナ・ヘルツリンガーの記事を読み、改めて彼女の「消費者が動かす医療サービス市場」(Consumer-Driven Health Care)(シュプリンガー・フェアクラーク東京)を本棚から取り出して読み返してみた。

この本の巻頭に配された「邦訳版への序文」で、ヘルツリンガーは「日本医療システムの問題点」として三点を指摘している。

1.日本医療システムが持つ非効率性
2.ゲノム研究、オーダメイド医療など先端分野での国際競争で敗れ去る可能性がある
3.顧客軽視の姿勢

以上三点のうち、ヘルツリンガーは、最初の「非効率性」が日本医療システムの最大課題であり、そこから他の問題が派生していると分析している。

「日本の医療システムが持つ非効率性のある部分は、病院の構造的な特性にも表れている。そこではスケールメリットが働かない。なぜなら、病院総数は米国の1.5倍と不釣合いに多く、そして、大規模にチェーン展開している病院が少なく、専門分野に特化した病院もわずかしか存在しないからである。その結果、万人向けに何もかも手がける日本の総合病院には、効率性が欠けている」

「現行の日本の医療システムでは、均一性という毛布が患者と医療機関をすっぽりと覆っている。その毛布が、日本経済の他の分野では普通に見られる競争の効用、すなわち、生産性と消費者の満足度の向上を妨げている。差別化された商品や価格に照らした価値が高い商品の提供を通じてしのぎを削る供給者を抜きにして、競争的な市場は成り立たない。情報と交渉力を手にした消費者が、そうした商品の中から選択を行い、優れた供給者に報い、劣った供給者には改善ないし撤退を迫るのである。」

「日本の医療サービス分野には、競争的市場が持つべきこうした要素が一切見られない。消費者側においては、医療保険加入者が特定の保険団体に割り当てられているため、顧客をめぐる医療保険団体間の競争は起こらない。医療機関と医療保険団体のいずれについても、消費者の選択の目安となるような情報は存在しない。」

「医療サービス供給面においては、医療機関への支払いは均一であって、医療機関の間での差別化へのインセンティブは働かない。中央集権化された意思決定システムが、資源の配分をゆがめている可能性もある。」

「日々刻々進歩する最新技術導入の困難さや政府によって独占的に決定される医療報酬制度が、起業家の前に障害となって立ちはだかっている。日本の医療技術分野には、競争相手の熱い息吹を首筋に感じて奮起するイノベーターが見当たらない。」

(「消費者が動かす医療サービス市場」レジナ・E・ヘルツリンガー著、武田悦子訳)

さすが、日本医療の問題を的確によく把握している。以上のようなヘルツリンガーの分析を読むと、至極まともで明解であり、言葉が何の支障もなく腑に落ちるのである。「目からうろこ」のわかりやすさなのだ。だがこのような言説が日本の医療業界では、やれ「市場原理主義」とか「新古典派」などという無意味なレッテルを貼られてしまう。このヘルツリンガーのように正当な言説さえ、曲解し誤読せずにはおかない日本医療特有の「言説空間の歪み」に対する正常な違和感をこそ、われわれはまず回復すべきなのだろう。

先日の書評で取り上げた「医療の限界」では、「患者は消費者ではなく、ただ患者であるのみだ」ということが書かれており驚いたことがある。このあたり、まるで医療だけを過度に聖域視し、他の産業分野から隔離するような偏狭さを感じる。

どの産業分野のどの市場でも、20世紀を通じて、決定権は製造・流通側から消費者へ移動したのだ。その現実の上に「消費者主権」という社会的概念と、それに対応するマーケティングというビジネススキルが成立した。この過程で、消費者が選択性向を強め自己主張を強めるのは当然である。消費者がわがままで気まぐれな存在であることは、他の産業では誰もが皆知っていることだ。だが医療業界ではこのことさえ十分に認識されていないから、いきおい消費者対応も未熟である。

自己主張する患者は「クレーマー」とみなされ、現に「患者は消費者ではない」という言葉まで医療者から言われているのだ。どうやら、日本で「消費者志向医療」はウケそうもないようだ。

三宅 啓  INITIATIVE INC.


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