闘病記とPHRに関するメモ

diary

昨日のリストを見ても分かるように、米国ではすでに大変な数のPHRが提供されており、この数は増加の一途をたどっている。だが、供給側のこの盛況ぶりに比し、生活者側の関心はまだまだ低い。

先週発表された米国保険会社Aetnaの調査によれば、PHRが何を意味するか知らない、わからない人は回答者の64%にのぼる。残り36%の回答者のうち、実際にPHRを使用していたのは11%に過ぎなかった。また、PHRをよく知っていると回答した人は全体の16%。同時に、個人健康情報の管理実態に関して次のことがわかった。

・回答者全体のうち35%が、自分なりの健康情報管理をしていると答えた。
・26%は一般的にセキュリティについて不安があると答えた。
・18%はPHRをどう使ったらよいか分からないと答えた。

(調査実施:2007年3月、調査対象者:2,185人、調査手法:Web調査)

以上の調査結果を見ても、生活者側のPHRに対するニーズがまだ潜在的な段階にあることがわかる。これに対し、登場が待たれるGoogleHealthは究極のPHRとも予測されている。いずれにせよ、PHR市場の起動が今後どのように開始されていくのか注目していきたいが、われわれは闘病記との関わりという別の視点からPHRに注目している。

以前のエントリーで、闘病記とPHRの関係について問題整理を試みた。この段階では、両者がいずれ合体される可能性について言及した。だが、その後考えると、単純に合体するわけにもいかないことも分かってきた。

PHRに収録される個人の医療あるいは健康情報は、病歴や薬歴など個人ヒストリー、検査データ(数値、画像など)、料金、そして医師の所見などから構成される。つまり事実や数値・画像、診療記録など客観データが中心となる。

対して闘病記は、個人体験の主観的表白が中心であり、事実の経過に即して個人の感想が語られることによって進行する。つまりどちらかと言えばアナログな情報を独白ストーリーで展開するのが闘病記であり、あくまで事実の記録を中心にしたPHRとは情報の性質が違うのである。

また情報共有を考えてみると、共有対象者はPHRが主に医療者であるのに対し、闘病記は闘病チームをはじめ広く社会一般となる。つまり「特定関係者の間に限定された共有」と「不特定多数への公開」という根本的な違いがあることがわかる。

このように考えてくると両者は別個に扱う方が良さそうだ。ただ日本の闘病記の場合、検査データや患者から見た診療記録に至るまで情報が収録されているケースが多い。PHRのデータエリアまで闘病記がカバーしてしまっているのだ。これはある意味では、闘病情報の一カ所集約という利便性をもたらすとも言える。

逆に米国では日本のWeb闘病記のようなものは少なく、そもそも検査データまで患者が公開することはない。これらは、日米文化の差異まで視野におかなければ論じきれない問題だとも思われる。社会的なプライバシー観が日米で違っているのである。もちろんこれは、どちらが正しいという問題ではない。

このようにPHRと闘病記を考えてくると、日米で両者がまったく異なった進化形態をしていることに驚く。PHRはまだ市場として成立していないものの、米国では既に多数の製品やサービスが提供されている。日本ではPHRはまだ何も存在しないに等しい。Web闘病記は日本では長年に渡って膨大な数が生成され、検査データや診療記録まで公開されてきたのに対し、米国ではジャンルと言えるほどの確固とした存在感がなく、検査データまで公開されることはまずない。

またこれらに関連して、「では、PHRとEHRの関係はどうか」という問題も出てくるような気がする。まだまだ整理していかなければならない問題は多い。それにしても日本の健保組合など、もっと被保険者に対し積極的にPHRサービスを提供してもよいのではないか。

三宅 啓  INITIATIVE INC.


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