Health2.0的思考 (1)

health2.0rise
先週、筆者が愛読しているスティーブ・ルーベルのブログ「Micro Persuasion」に、”Walled Gardens and the Lesson for Social Networks”というエントリーがポストされた。SNSを「ウォールド・ガーデン」つまり「塀で囲まれた庭」と見立てた論考である。

「ニューヨークにグラマシーパークという有名な公園がある。これは非常によく手入れされた、最も美しい公園として有名である。だがこの公園は壁で囲まれ、周辺に居住する富裕な住民だけが中に入ることが許されている。もしも、この公園をニューヨーク市が買い上げ、一般に公開したらどうなるだろう?。たくさんの人で満員となり、汚れ、治安は劣化し犯罪は増加し、あたりかまわず落書きだらけとなり果てるだろう」。

このようにスティーブ・ルーベルは、ある大学教授の言葉を引用してSNSを論じ始める。たしかにSNSはこのグラマシーパークのように、仲間内で閉じられた空間であり、それゆえに安全性、安心感や快適さを享受できる空間なのだろう。

だが、この「閉じられた」という形容詞は、2.0が指し示す「オープン」という方向性と逆行しているのではないか?。筆者はSNSが2.0ムーブメントの中の一員として語られることに、実は大きな違和感を持っていた。2.0がWebに向けて、誰もが自分の知識、情報、アイデアを書き加えていき、Webをどんどん豊富にしていくムーブメントだとすれば、閉じられた空間で仲間以外には知られず、Googleからも見えないような所作を2.0的な行為として認められるだろうか。

SNSで情報を付加しても、それはWeb上のパブリックな共有知に、何の貢献も付加もしたことにはならないのではないだろうか。そう思う。だが、あまり厳格に考えすぎてもいけないのだろう。時と場合によって、オープンとクローズドを使い分けることは、当然あると思う。

だが医療情報というものを考えたときに、これはオープンに共有するものという原則を明確に立てるべきだ。闘病者の体験情報もできれば共有したい。だから「医療SNS」というものが今一ピンとこないのだ。医療者側のSNSならまだわかるような気もする。だが、患者、闘病者側のSNSとなると疑問はつのる。「ウォールドガーデン」に囲い込まないでほしい。Googleから見え、誰もが貴重な体験情報を検索できるようにしてもらいたい。

「シーン全体のオープン化」というような2.0的な事態が進みながら、他方、SNSのここ1-2年の急成長を見ると、何か「タコツボ化」が進行しているような気もしていた。もちろん居心地の良いタコツボへ入ることも自由なのだが、同時にオープンに闘病体験を共有していくべきだ。

Web上の医療情報といえば、従来、すぐに「情報の信頼性、妥当性」という問題が立ち上がってきて、「あれはダメ、こうしてはダメ・・・・」などと禁止条項ばかりを羅列するような、不毛な規制を考える人たちがいた。これではWebで医療情報や闘病体験を共有し活用する可能性を、むざむざ殺すようなものである。いいかげんお役人発想をやめてはどうか。「Web上の正しい情報」などと言っても、だれがその「正しさ」を絶対的に保障できるのか。われわれが扱える「正しさ」とは、せいぜい「相対的な正しさ」でしかないのだ。そしてそれで充分なのだ。どのような「正しい」学説もエビデンスも、どんどん更新されるのだから。

Webは誰もが自分の知識・情報・体験を書き込め、それに対し誰もが感想・追加・修正を加えていける知のパブリックスフィアだ。Health2.0はこのようなWebの共有パワーをオープンに活かす方向で、従来にない新しい医療を皆で作っていくことだと思う。

Photo by davidwallace

Rise

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三宅 啓  INITIATIVE INC.


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