「患者様」呼称への苛立ち感

kanaja_sama

一昨日に続き、昨日5月2日付け朝日新聞夕刊一面トップも医療ネタ。2日続けて医療ネタが一面トップ。見出しは「『患者様』でいいの?」。

当方が医療分野でベンチャー起業を思い立った頃、医療について一通りの勉強をした中で、一番、奇妙に感じたのはこの「患者様」という呼び方である。この呼称から喚起されるのは単なる違和感を通り越し、むしろ異様な気持ち悪さ、あるいは居心地の悪さとでも言うほかない感じである。

その後、全国の病院サイトを調査する機会があり、多数のサイトを見たが、どのWebページにも必ずと言っていいほど「患者様」という呼称が掲載されていた。もともと病院Webサイトはコミュニケーション・マインドが低く、手前勝手で妙な形式主義が跋扈しているのだが、その中でもこの「患者様」という文言はひときわ異彩を放って不気味でさえあった。

記事によれば、京大病院で「患者様」呼称を見直し始めたと言うことだ。結構なことである。だが記事には「さらに変更の理由の一つに、院内で医療スタッフへの暴力や暴言が多発していることを挙げる」とあり、「『患者様』と呼ぶことが直接の原因ではないが、一部の人に誤った意識を助長しているような気がする」との副院長コメントを載せている。

「患者様」呼称問題が、はからずも今日の「院内暴力」の実態をかいま見せたということか。そう言えば医療崩壊先進国である英国では、その崩壊過程で、医療現場における暴行事件が多数発生したと記憶している。「患者様」と呼ばれて増長する輩が、まったく存在しないわけでもないということらしい。

相手をどう呼ぶかは、自己と相手の相互関係性を規定する。その呼称と現実の関係性が不釣り合いであれば、呼称は空々しく浮いてしまい、逆に反感さえ醸成し、やがて暴力まで喚起しかねない。

つまり、医療現場において発せられる「患者様」呼称が、現にこのような「不釣り合いな空々しさ」を抱えるところに問題は集約される。ではこの「不釣り合い」は、「空々しさ」は、何ゆえ生起しているのか。それは医療者側が実体的に提供している患者との関係性と、「患者様」と拝み奉られた虚構としての関係性のギャップに起因するのではないか。

患者中心医療、患者本位の医療などと言う「タテマエ」にある「ウソ」を、消費者は鋭く見抜いている。同様に、「患者様」という呼称に付きまとう慇懃無礼な「ウソ」を患者は鋭く見破っているのだ。むしろ、このことに気づかないこと自体が、医療者側の問題なのではないか。

「患者様」呼称の先駆者である病院の院長コメントが記事には付されていた。「言葉の使い方は本質的なことではない。病院ごとに決めればよいと思う。うちはホスピタリティー(もてなしの心)の一環で『患者様』という言葉を使っているが、これは公的なことで(後略)」

「言葉の使い方は本質的なことではない」と言ってしまったらコミュニケーションは成立しないではないか。それに一体、言葉の社会的スキルなしに、自己と相手との間にどのような関係性を築けるのか。また、言葉を軽視すると暴力さえ引っ張り出しかねないということに、この院長は気づいていないようだ。

「ホスピタリティー」という言葉を持ち出すところを見ると、どうやら、ホテルやレストランなどサービス業と同質のマーケティング発想が、この呼称の起点にあるような気もする。顧客中心主義、顧客本位のサービスなど、マーケティングの顧客志向を形式的に医療に持ち込むことは簡単だが、従来どおり医療文化は古いままに継続されていることを患者は知っている。そして表層に「患者様」という呼称が無意味に浮遊している。この事態が「苛立ち」を生んでいることに、医療者は早く気づくべきだ。

三宅 啓  INITIATIVE INC.


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